鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2018年8月号には、第56回ゲストとして8月14日に後楽園ホールで「カッキーライド2018」を開催する垣原賢人選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

垣原賢人x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

今もカッキーは現在形のプロレスラー

“勝ちます”のひとことに
さまざまな思いをこめて

垣原賢人

©カッキーライド2018実行委員会/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史

抗がん治療中の辛い時、髙山選手の
デッカい体に助けを求めた

昨年に続き2回目の「カッキーライド」開催となります(8月14日、後楽園ホール)。継続してできることのお気持ちからお聞かせください。

垣原 まず、これは前回と変わらないことですけど応援してくださっている皆さんへの感謝ですよね。それがあるからこそ2回目もありますし、もともとこういう大会をやろうと思ったのも自分の元気な姿を応援してくださる皆さんにお見せしたいというところなので、1回に終わらず続けていけたらと思っていました。2回目をやらないと心配になっちゃうじゃないですか。

ああ、何かあったんだろうかって思われてしまいますよね。2015年はご自身が出場しない形の「カッキーエイド」として開催され、昨年は「カッキーライド」として復帰戦をおこないました。この“エイド”から“ライド”へというのは本当にいいコンセプトだなと思ったんです。

垣原 これはカッキーライドの実行委員長(実息・つくしさん)のアイデアです。僕もエイドという形でやっていただいて、次は助けていただくのではなく恩返しする番だという思いが強かったので「カッキーエイド2」というのはやりたくなかったんです。今度は違う名前でやりたいんだけど…というような話を息子としていたら「じゃあ、ライドでいこうよ」と言って。

第1回とは違った今回ならではの思いはありますか。

垣原 今年は髙山善廣選手に向けてエールを送りたいという思いが強いですね。

1回目は自身の元気な姿を見せたいという自分に関する願望でしたが、今回は自分以外の仲間に対する思いが力となっているんですね。

垣原 本当にそうだと思います。僕ががん(2015年12月に悪性リンパ腫・ステージ4が発覚)になった時、カッキー応援隊という形で一番動いてくれたのが髙山選手でした。もちろん、皆さんが僕のためにいろいろな形で動いてくださったんですけど、その中でも特に髙山選手は治療法をたくさん調べてくれたり、多くの人脈を紹介してくれたり、がんにいいということが見つかったら即座に動いてくれて、後輩ですけど頼りになる男だなって。僕が入院している時も、皆さんの気持ちに感謝しつつお見舞いはお断りさせていただいていたんですけど、髙山選手には来てもらったんです。抗がん治療中の辛い時に、あのデッカい体を見たら安心するというか、そういう助けを求めたところがあったんでしょうね。看護士の皆さんも、いきなり大きい体で現れたのを見てビックリしていました。

昨年5月の試合中に頸髄損傷という大ケガを髙山選手が負った3ヵ月後にカッキーライドが開催され、垣原さんは自分が復帰できた喜びよりも先に髙山選手への思いがあふれ出て、大会のエンディングでは髙山選手へのエールしか言葉として出てこなかった。あれも自分より仲間でした。

垣原 あの時点で厳しい状況だというのは聞いていたので、どうしてもそちらの方に意識がいってしまいましたよね。あんなに頼り甲斐のある男がまさかこんな状況になるなんて…今度は僕の方があの大きな体が動かずに寝ている姿を見て、胸が締めつけられました。もう、自分のことなんて考えられなくなって、少しでも彼に恩返しをしたいという思いだけになりました。

お見舞いにいった時に、今大会の開催を報告したんですよね。

垣原 はい。最初は、8月31日にTAKAYAMANIAがあるので(髙山善廣支援イベントを後楽園ホールで開催)、日程的に近いことを考慮して今年は開催しないと言ったんですけど、髙山選手が「やってください」と言ってくれて。

たとえ体が動かなくても背中を押してくれたんですね。

垣原 そこで考え方が切り替わりましたよね。やるからには、いい形でTAKAYAMANIAにつなぐんだ!って。熱いエールを送りたいです。

UWFインターナショナルで出逢って25年以上が経っているにもかかわらず、その時にできたつながりが今も強いものとして続いています。

垣原 Uインター勢の中でも特に髙山選手は全日本プロレスにいってからも一緒だったので、より同じ時間を過ごしたのが濃いものになっているんだと思います。

こういうのって…。

垣原 ……うん、いいですよね。

髙山選手にエールを送るにあたり、垣原さんはメインで鈴木みのる選手とUWFルールで対戦します。会見で「もっとも苦手な先輩。何をされたかを話したら2、3時間じゃ足りない」と言っていました。

垣原 練習はもちろんとして、それだけじゃなかったですからねえ。合宿所で部屋が普通の隣同士ではなく、ふすまで部屋を仕切っている感じだったんですよ。それで隣同士だったんです。

それ、ほとんど同部屋じゃないですか。

垣原 そうです。だから休む時間がないんですよ。道場では練習、合宿所では寝てても疲れるので。

寝てても疲れる?

垣原 いびきや寝言で鈴木さんを起こしたら大変だっていう意識が働くので、ぐっすりと寝た気になれないという。練習ではおよそ考えつくあらゆるヒドいことをされて当然。関節技のスパーリングなのに、Tシャツが血だらけになるんですよ。

打撃じゃないのに。

垣原 それぐらい強烈極まりない先輩だったので、まさかあれから30年近く経って対戦することになるとは…じつは鈴木さんとは、UWF時代どころか新日本でも対戦していないんです。同じ時期に上がっていたんですけど、僕はジュニアで鈴木さんはヘビーでしたから。

そのカードを思いついたつくしさんはすごいですよ。団体の誰かが組むのではなく、自分の息子がマッチメイクするというのも普通じゃあり得ません。

垣原 そうですよね。こういう病気をしているので、高いカベを乗り越えなければいけないという息子なりのメッセージなのかもしれませんよね。

お父さん、それよく受け取りすぎかもしれないですよ。

垣原 ハハハハッ、親父がいじめられているところを見たいだけですかね。まあ、鈴木みのるといえば現在も日本のプロレス界でトップにいる男ですから、一プロレスラーとしてそういう存在と1対1で闘える…そうですね、僕の中では2度目のデビュー戦という感じです。

昨年の復帰戦は藤原喜明組長とスパーリングマッチルールで闘ったので、今回の方がデビュー戦という感覚なんですね。

垣原 はい。去年はデビューに向けての道場におけるスパーリングを後楽園ホールのお客さんの前でやらせていただいたという形で、新日本1・4東京ドームのバトルロイヤル(サプライズ登場し、優勝を遂げる)は第0試合でしたから。段階を踏んで、第1試合でやるつもりだったんですけど(オープニングマッチだと時間的に垣原の試合が見られないという声が出たことから)メインでやらせていただくことになって。それでも正式な復帰戦というか、2度目のデビュー戦という気持ちですよね。

去年、藤原組長と対戦した時と比べて体重は?

垣原 あっ、体重はほとんど変わらないんですよ。検査を続ける中で主治医からあまり体重を増やさないようにと言われているので。

前回、藤原組長に決められまくって「俺ってこんなに弱いのか…」と大ショックを受けたと聞いています。体重は変わらぬまま、今回も臨むわけですね。

垣原 ただ、去年と大きく違うのは打撃ありなので。関節技のみという組長のフィールドで闘ったのと比べると、UWFルールの掌底ありなら去年のようにはいかないという自信があります。去年は自分らしくなかったというか、何も身についていない新人の頃に戻って藤原さんにスパーリングの相手をしていただいたという感じですよね。

あの鈴木みのるに掌底をぶっ放していくと。

垣原 どうでしょう、これも新人の頃に戻って蛇ににらまれた蛙のようになってしまうのか。それも息子が試しているんでしょうね。僕自身も予想がつかないです。やられたことが走馬灯のように流れてきて怒りがこみあげ、それが力になるのか。

そこですよね、プロレスラーとしての闘争本能。去年、藤原さんとスパーをやって自分の中に残っているという実感は得られましたか。

垣原 やられても決められても向かっていけて、心は折れなかったという部分ではファイターとしてリングに上がれた手応えはありました。勝ちたい、負けたくないという気持ちがあることを確認できたのは去年の収穫でしたし、それを踏まえてこの一年やってきましたから。

リングに上がれるだけでもとてつもないことですから、そこで満足してしまうケースもあります。でも、垣原さんはそれ以上の気持ちや姿勢が持てたと。ご自身以外のカードに関してはどうでしょう。

垣原 藤原さんと冨宅(飛駈=この日はUWF時代のリングネーム祐輔で出場)さんの試合はいいですよね! 去年、藤原さんとスパーリングしながら思ったんです、こんなに強い組長を藤原組時代に冨宅さんは決めたという伝説があるなんて…って。

そういう伝説があったんですね。

垣原 冨宅さん本人にそれをいうとはぐらかすんですけど、その強さがこの試合で見えるんじゃないかと思いますし、同期として去年の敵討ちをしてほしいというのもあります。

体中にがん細胞が広がった画像を見せられて
主治医から聞かされた言葉は今も残っている

プロレスファン的には、大日本プロレスの野村卓矢選手がスタンディングバウト(立ち技のみ)ルールで伊藤崇文選手と対戦するのも驚きだと思われます。

垣原 そうなんですよ。こちらからこういうルールでどうですかとオファーしたら、いいですよと。凄いなと思いましたよね。受けてくれないだろうなと思っていたので。伊藤選手はパンクラスですけど、大日本はそういうスタイルではやっていないですから。僕はこの試合が大注目カードだと思っています。

今回は大会名に「集え!Uインター魂」というサブタイトルが打たれていますが、Uインターが当時やっていたダブルバウトとスタンディングバウトを復活させたかったんですね。

垣原 そうです(ニッコリ)。そこがUWFではなくUインターですから。プロレス界の歴史の中で、第1試合がキックボクシングっていうのもなかったじゃないですか。当時は「プロレスを見に来ているのになんでキックボクシングから始まるの?」って思われたんでしょうけど、一回で終わらず継続した。そこもUインターの面白いところだったと思いますし、個人的にもスタンディングバウトが好きだったんです。今回はスタンディングバウトの歴史を創った大江慎さんが特別レフェリーを務めるんですけど、キックボクサーではなくプロレスラー同士がこのルールでやるのは初の試みとなります。

ほかにもこれまた懐かしのダブルバウトがあり(中野巽耀&山本喧一vsロッキー川村&佐藤光留)、田村潔司選手の直弟子である中村大介選手と鈴木秀樹選手の一騎打ちありと、垣原さんにとっては他のカードとの闘いにもなりますよね。

垣原 新日本の頃、ジュニアはなかなかメインで組まれなかった中で「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」の公式戦になると組まれることがあったんです。そういう時は特にプレッシャーが大きくて、メインを務めることがどんなものなのかっていうのは自分も理解しているので、その重圧はすでにひしひしと感じています。

話している内容が完全に現在形のプロレスラーですよね。

垣原 さっきも言いましたけど、本当は段階を踏んでいって何年か先にメインでやればいいと思っていたんですね。でも、こういうのが髙山選手に対するエールになるんじゃないかなと思うんです。あり得ないことや、自分が怖いと思うことを乗り越えた姿を見せられたら、勇気につながりますから。

垣原賢人vs鈴木みのる戦は、世界中で一番髙山さんが見たがっているカードですよ。

垣原 届かせたいし、結果で髙山選手を驚かせたい。僕にとっては大きなチャレンジです。

わかりました。体調に関する現状もお聞かせいただきたく思います。検診を続けているとのことですが、病気との闘いにおいて特に今も続けていることはどんなものがありますか。

垣原 西洋医学的な化学治療はいったん経過観察ということでそちらの方はやっていないんですけど、東洋医学的なもの…漢方などは継続してやっています。

発覚した時と比べてがんそのものはどれほど良い方へ向かっているのでしょう。

垣原 血液のがんなので完治というのはなかなか厳しいんですけど、抗がん剤の治療が効いてグッと抑えられている状態なので、今のところは問題ないです。どこかが痛いとか症状も出ないです。

がんと闘うにあたり、とても厳しい食事療法に挑戦しました。現在、どれぐらいまで食べることが可能になりましたか。

垣原 治療中は味なしの強烈なやつをやっていましたけど、今はあまりにハメを外さない範囲でしたら普通の食事が摂れるようになりました。基本はそういう食事を続けていますけど、時々は好きなものを食べるという感じで。

好きなものというのは、どういったものなら摂取可能なんでしょうか。

垣原 肉もOKですし、魚も白身だったら。外食も友達としています。抗がん剤治療中の1年半が過ぎたあたりから少しずつ緩めていったという感じですね。

1年半も一切の調味料が摂れない味なしの野菜・果物中心という食事を続けたんですね。そうした療法へ臨む話を聞いた時、病気の苦しみはならなければ本当の意味での実感は得られないものですが、食事というのは日常の中で自分たちも経験していることなのでダイレクトにその過酷さが伝わってきたんです。

垣原 よく耐えられたねって言われるんですけど、それほど深刻な状況だったので頑張れるだけは頑張ろうという思いでしたね。野菜そのものの味がわかるようになれるって言っていましたけど、今は本当にわかるようになってドレッシングもかけないですから。

ようやくほかのものが食べられるとなった時、最初に食べたのはなんだったんですか。

垣原 カレーでした。あれはもう、涙が出そうになりましたね。おいしかったですねえ…家内が大変だったと思います。食事制限の間は家族と別のものを作らなければならなかったですから。基本は今も続いているんですけど、家族と一緒のものを食べる時もあります。これをずっと続けなきゃいけないっていうわけではないんですけど、やった方が調子いいですし、全面的に昔へ戻してしまうと再発するんじゃないかという怖さもあるので、僕はずっと続けていこうと思っています。

そして病気自体ともずっと向き合っていかなければならないわけで。その上で日々練習を続け、リングにも上がる。

垣原 そこは病気から意識を背けたいがための日々のトレーニングであり、試合というところもあるんです。今回もより高いハードルを課すことによっておのずと意識がいきますので。こういうのがなかったら、いつもがんのことばかりを考えてよからぬ方に進んでしまうかもしれない。前向きに考えられるのは試合のような大きな目標があるからで、後ろ向きに病気の方へ目が向かなくなりました。もちろん用心はし続けなければいけないんですけど、プラスの方のエネルギーでいっていますよね。

ポジティヴに向き合うことで、当初の生きていく上での恐怖心は払拭されましたか。

垣原 うーん…そこはまだ3年ぐらいだとこの病気は安心できないですよね。主治医からは10年経っても15年経っても再発した患者はゴロゴロいるって言われていますので。だから一日一日を大事にという気持ちですよね。体中にがん細胞が広がった画像を見せられて、主治医から聞かされた言葉は今も残っているので、その怖さはなかなか拭えないです。だからこそ、やり甲斐が持てることを求めて意識を向けたいという思いになりますし、物事を先送りせずに…そうか、メインはもうちょっとあとにじゃなく、そういうチャンスが来たら今やっておかなきゃいけないんだなって。本当、プロレスに救われていますよね。一度引退して(2006年5月28日)、ミヤマ☆仮面として別の道を歩んでいたのが、こうして再びマット界とのかかわりができて皆さんに応援していただけるなんて…生涯を懸けてやっていかなければなと思います。

生涯を懸けて、ですか。

垣原 そういう意味でも8・14で何かを残さなければ次がないと思っています。ギリギリの勝負をしているということを髙山選手に届かせたい。俺も乗り越えてやるから、髙山も乗り越えろよ!って。

鈴木みのる戦なので試合後に喋れるかどうかわからないですけど、喋れるようなら今回も自分ではなく髙山選手に対する思いの方が言葉として出るんでしょうね。

垣原 “世界一性格の悪い男”ですから、余力を残させてはくれないでしょうからねえ。僕に喋る余力が残っていなかったら、16歳の実行委員長に任せます。

息子さん、16歳でいろいろ自発的に考えて行動して人前でも堂々としていて立派ですね。

垣原 彼は5歳からミヤマ☆仮面のパートナーとしてイベントに出ていて、僕ががんになってからの1年間は僕の代わりにイベントをやっていたので自立できているんだと思います。本人も振り返るとあの時の経験が大きかったと言っていますし。ミヤマ☆仮面の大変さというか、ひとりでステージを盛り上げることの大変さっていうのがあるんですよ。仮面ライダーとかと違って誰もが知っているヒーローではないですから、常にアウェイなんです。子どもも大人も「何やるの?」という感じで見ている中で目を引きつけなければならないという。

十代でアウェイを経験している!

垣原 だからプロレス界に戻ってくると本当にあったかくて、毎回涙が出そうになるんです。たぶん僕がだらしないんで、自分たちが頑張らなきゃと娘も早くから自立できたんでしょうね。

いや、そこは血筋ですよ。お父さんも16歳で新居浜から東京へ出てきたんですから。それでは最後に大会に向けての意気込みをお願いします。

垣原 (長考して)……“勝ちます”ですね。この“勝ちます”というひとことに、さまざまな意味と思いをこめて――。