鈴木健.txt/場外乱闘 番外編 Vol.111

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2026年5月号では、第142回(本誌ナンバリング)ゲストとしてドラディション・藤波辰爾選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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藤波辰爾(ドラディション)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

72歳になった今でも
「将来こうしたい」と思える

藤波辰爾(ドラディション)

団体としての形にこだわる理由
ドラディションは余韻を大事にしたい

ドラディションとしては2008年旗揚げですが、前身の無我ワールドは2006年8月が旗揚げ戦ですので、今年で20年続くことになります。

藤波 もう、そんなになるんですね! ウチは通常の興行会社のように年間を通じてコンスタントに開催している形態ではなく、自分たちのペースで、できる範囲でやっているから回数としては少ないかもしれないけど、やるからには継続性よりも一回ごとに見てくれるファンの内なる声が出るようなものにしたいとは常に思っています。

長く続けること自体が目的ではなく、一回ごとに満足してもらうことの積み重ね…一期一会の姿勢ですね。

藤波 まさにそれです。無我ワールドからドラディションに変わりながらも、僕自身の中にアントニオ猪木さんから受け継いだもののイメージはあるから、試合に出ている選手だけでなくスタッフも含めお客さんが感動するようなものを見せることで、同じ姿勢でやってくれている。そのためには常にベストコンディションでいてくれというのは、選手に指示していますし。こうして20周年を迎えるわけだけど、僕自身のそういう心が折れない限りドラディションは継続していくでしょうね。

そう、今でも藤波さんはプロレスに対する心が折れないですよね。

藤波 それはなぜかというと、僕自身がまだ新人のようとまでは言わないけど(ドラゴンスマイル)、その頃と変わらないぐらいプロレスが好きだから。長くやっていると、その時代時代のプロレスのよさがわかるから、まったくこれでもういいかとはならないんだよね。

これほどのキャリアと実績、知名度があれば、藤波辰爾というブランドだけでも十分続けていけるはずです。にもかかわらず、フリーではなく団体という形にこだわるのはなぜなんでしょう。

藤波 うん、実際に今はドラディションとしての試合よりも個人でいろんなリングに上がる方が多くなっていますからね。ただ、あれほど愛した新日本プロレスを自分で出たからには、新日本の分身としてその“らしさ”の火を消さないようにという思いが強いんです。最初の無我ワールド…あれは団体の看板になったのかどうかはわからないけれど、自分の気持ちの方が先に表へ出たような感じだったのが、ドラディションになったあともファンの方々に「ドラディションとはこういう団体」と意識づけしてもらうためにも、団体という形を出しているんです。何より僕は団体としてやることで、それが楽しめている。僕は時間があるとヨソの団体も雑誌やCS放送で見ているし、いろんなところからお呼びがかかっていくと、みんなからプロレスが好きなんだなあっていうのが感じられるんです。目から鱗だと思うこともあれば「ここはちょっとどうなのかな」と思うこともある。そういうことを肌で感じられるのが、このトシになっても楽しいんだよね。

これほど長く続けても気づきがある。キャリアを重ねると自分が確立されて、別の価値観を受け入れようとしなくなるものじゃないですか。

藤波 気づくようにはしていますね。「もういいや」じゃなく。そう思えることによって、変わらずプロレスが好きでいられていることを自分自身、再確認できる。

ドラディションは所属選手もスタッフも少なく、ご家族で運営しています。それもまた大変なのではと。

藤波 家族は一応、息子(LEONA)と家内(伽織夫人)もいますけど、家族だけでできる業界じゃないし、所属だけでこなせるスタッフもいないんで、それぞれの専門分野の方たち(レフェリーやリングアナウンサー、ディレクターなど)の助けを借りてやっています。みんな、いろんな団体に関わっている人たちだけど、ウチなりの「ドラディションはこうあるべき」というのをちゃんと理解してくれているんで、それで今の形になれたっていうのがありますね。

だからこそドラディションは、ファミリー感が出ているのだと見受けられます。携わる方々も含めて家族という。

藤波 始めた当初は今以上に身内っていうイメージがあったんで、それを見て皆さんが集まってきてくれたからなのかもわからないね。あとは、そういうのってお客さんに対してもあるというか、リング上から観客席を見渡すと「ああ、あのお客さんはまた来てくれたんだ」ってわかることが多いんですよ。そういう方の顔が目に入ると、アットホームっていうのかな。確かにウチは、そういう雰囲気が出ているのかもしれないね。

客席全体を眺めて思うのは、ほかの団体と比べてスーツ率が高いことです。つまり、アダルト層が多い。

藤波 ありがたいことですよね、その年代の方々がプロレスに来てくれるっていうのは。僕が海外修行でいった西ドイツも、リングサイドは全員背広だったんです。それはスタイル的にラウンド制で技術が重視されているリングだったので、そういうプロレスをじっくりと見る嗜好だったのもあったんでしょうけど、そういう光景を見ているだけに自分のリングでその層に響いているのだとしたら、これはもうありがたい。

そのスーツ姿のお客さんが後楽園ホールの1階まで出たところでよく聞かれるのが「久々にプロレスを見に来たけど、やっぱり面白いな」なんです。これは本当に、毎大会ごとに耳へ入ってきます。みな、昭和のプロレスをリアルタイムで見ていた世代の方々なので、藤波さんが顔を判別できる固定客とともに、藤波辰爾が見られるから久しく離れていたプロレスに足を運んでみようという層も確実に集めているんだなと思いました。

藤波 そうですか! そういう人たちを引き寄せるものがウチにあるのだとしたら嬉しいね。プロレスに対しもう一回振り返ってくれる、そういうファンをつなぎ留めるじゃないけど増やしたいですよね。大会が終わったあとに面白かったと口々に言い合えるような…ウチはね、ちょっと独特だと思うんだけど、これは打ち上げとかじゃないしファンの方々にもこういうことをやりますよって言っているんじゃないんだけど、大会が終わると後楽園の下にあるお店で二次会が始まっちゃうんですよ。

「FRIDAYS」ですね。

藤波 そこに100人とか150人が集まって、これはもう一興行できるんじゃないかっていうぐらいに。

それほど皆さん、見たことについて語りたいんでしょう。

藤波 そう、余韻を楽しみたいんでしょうね。それは、ウチの場合はオープニングからエンディングまで餅は餅屋で、担当者が考えてやっているからというのもあると思うんです。どういう映像を作ればまずはオープニングでお客さんがドーン!と来るかとか、エンドロールが流れるのって、ウチぐらいじゃないの? 映画じゃないのにね。僕もあれはリング上で見ちゃうんですよ。選手から裏方のスタッフまで全員の名前が流れるまでを追っちゃう。それらを含めて、お客さんの集中力が持つのは最大でこれぐらいの時間だからというのを考えて、そこから逆算して組むカードの数を決めているんです。

ドラディションはだいたい6試合前後ですよね。

藤波 やっぱり、見る上での集中力が途切れると楽しめないし余韻も味わえない。帰宅の時間を気にしていたら、100%は楽しめないじゃないですか。

また、それによって大会後に語り合うという楽しみを持てます。居酒屋トークまでを含めてこそプロレス観戦だと。

藤波 だからね、ウチは余韻を大事にしたい。それを味わってもらうために全体のことを考えるスタッフに恵まれているんで、そこは自信がありますよ。

この数年は年に2、3回、後楽園ホール大会を開催するペースでやっています。

藤波 前は年間5試合ぐらいやっていたんだけど、ウチは営業スタッフがずっと地方回りするというんじゃないんで。(地方の場合は)僕自身が会場までいってやっていましたからね。今はLEONAが駆けずり回っていますけど、そういう状態なんで回数ができないんです。本当は大阪や福岡もいきたいんだけどね。

ただ毎回、平日の後楽園を必ず満員にしています。限られたスタッフだからこそ、誇っていいと思います。

藤波 無我の最初の頃は空席が目立っていましたよ。まだ弱小団体というイメージだったし、今のようにスタッフが完ぺきには揃っていなかったので、そこまで大会として頭に入れられるような状況じゃなかった。ファンはやっぱりシビアなもので、旗揚げはご祝儀でもだんだん慣れてくると今度は「中身は?」ってなってくる。それを「次も見よう」っていう気にさせないといけなかった。僕自身は本来ならば、自分自身が好きだからリングに上がっているわけなんだけどね。もう上がるなと言われても、ノーギャラでも上がるつもりでいるから。

自分の団体なのにノーギャラ!

藤波 それぐらいね、リングに立ちたいっていう思いは変わらないですよ。

将来的に、ご自身がリングを降りる日が来た場合、LEONA選手にドラディションを継続させていってほしいという思いはありますか。

藤波 LEONAに関してはあれほど僕も家内もプロレス入りを反対したにも関わらずこの道を選んだわけだから、彼自身の思いが強い。ほかの団体より試合数は少ないけど、プロレスに対する熱は負けていない。父子として僕らは話ができるわけで、猪木さんが新日本プロレスを起ち上げた時からのことを話しているからそこにものすごく誇りを持っている。ただ彼自身、自分が団体のトップとしてやっていくっていうのは望んでいないでしょうね。ほかの団体なら、誰かがトップっていうのがあるんでしょうけど、ウチの場合はみんなで作りあげているから。それを彼も理解しているでしょう。ウチは大会が終わると反省会じゃないけど、意見交換の場を持つんですよ。そういう場としての団体をなくしたくないという思いはあります。僕はあまりその中心にいることなく見ている側に回りますけど、気持ちがいいんですよ。だから、LEONAがというより、携わってくれている皆さんがそういう形で変わらずドラディションをやっていくというのであれば、僕もなくしたくない。

成田蓮戦でHOTが介入したら…
LEONAが入るのは彼の本能次第

さて、5・22後楽園大会ですが、藤波さんは新日本プロレス・成田蓮選手と一騎打ちで対戦します。かつては藤波さんと同時代を生きた選手を招へいしていましたが、ここ最近は棚橋弘至、高橋ヒロム、ザック・セイバーJrといった現代プロレスを代表する世代とシングルマッチで対戦しています。これは、どこかのタイミングでご自身の中に変化があったのでしょうか。

藤波 それは僕自身も刺激を受けているところと、あとは僕をそういう場に立たせたいというのもあるかな。現役を名乗るのであれば、タッグマッチの一人として顔見世的なものにするのはよくないって、僕が這いつくばるのを見たいのかっていうぐらいのことを要求してくるんですね。こっちはこっちで、たまったもんじゃないですよ! ただ、求められるのであればそれに応えたいですし、だから今日もこの取材の前にジムへいってきたけど、シングルマッチのために体調を整えていますしね。

もちろん、提示されたカードの意味をご自身で考えて受け入れているんですよね。

藤波 それはもう。たとえばヒロムとやった時は、自分がこれほどの過程を踏んできた上で言うのは簡単だけど、実際にやってみたらあのザマですよ。それは今、現役バリバリの人だと自分が受けるのに苦労しますよね。

見る側としては、まったくそれを感じさせない内容でしたが。

藤波 ザック・セイバー戦も棚橋戦もそうだったんだけど、自分の中ではどうしても一番いい時のイメージが捨て切れないから「こんなはずじゃないんだけどな」と思いながら、少しでもその頃の自分に戻そうと試合の中で足掻いていました。それを僕と同じ世代の人に言うと「藤波さん、自分の年齢を考えています?」って言われるんだけど、わかっているんですよ。わかっているんだけど、リングに立つ以上は全盛期の頃の自分に感覚がいっちゃうんです。

逆に、この年齢であそこまでやれるからこそ凄いと思ってしまいます。

藤波 うん、だけどね、自分の判断力っていうのかな、今は何か一つやるにしても考えてからなんですよ。あの頃は、考える余裕がなかったのもあるけど、無意識に体が動いていた。本来はそうじゃなきゃいけないんです。考えて動くから、今は遅いんですよ。でも今の選手たちは考えずに動ける分、速い。

対戦する側としては、藤波辰爾とシングルマッチで対戦すること自体に喜びと価値を持てます。

藤波 そこは僕が猪木さんと当たった時と同じですよね。カバン持ちから始まって、シングルでやるようになって、最初の頃は猪木さんに面と向かって技が出せない、金縛りのような感じになってね。それをだんだん突き破っていって、最後の横浜(1988年8月8日)での60分にいきつくわけだけど、あの試合は本当にすべてを出し切れた。今は、だから彼らにもそういうものを味わってもらえたのであればと思いますよね。

ただ、今回の成田選手はHOUSE OF TORTUREという反体制ユニットなので、そういうものにならなさそうです。

藤波 彼が何を考えているのかはわからないけどある意味、そういうやり方で僕を奮い立たせようとするのかもしれないね。

棚橋戦は新日本の現在形、ヒロム戦はジュニア、ザック戦はクラシカルレスリングとそれぞれのテーマがありましたが、今回に関しては“令和の反則やラフプレーをやってくる相手”と対峙するのがテーマになります。それは、ドラディションでは描かれてこなかったプロレスでもあります。

藤波 そこは明らかにヒロムやザックとは違うものがあるだろうからね。「なんで俺があの年寄りとやらなきゃいけないんだ」っていう行動をとっているんだったら、大いに俺をカッカさせてくれればいい。その方が僕もそっちの方に気持ちを向けられる。通常の藤波vs成田だと、そこに自分を合わせづらいんで、彼が暴言を吐けば吐くほどいい。

新日本3・6大田区総合体育館でタッグ対戦したことが今回の一騎打ちにつながっているんですが(10人タッグでHOTと対戦し、高橋裕二郎にLEONAが敗れる。5・22後楽園では両者の一騎打ちも実現)、その時に肌を合わせた印象は?

藤波 少ししか絡まなかったけど、新日本を離れてからしばらく経って、今のプロレスと自分のやってきたプロレスにズレがあるなと思っていたのが、いざ肌を合わせるとやっぱりみんな新日本らしさというものを持っていたんです。それをシングルでやることによって「こういうこともできるじゃないか」って。だから、彼からもそういうのを感じることができるかどうかっていうのはあるけどね。

ただ、向こうは第三者の介入も持さないので、今までのドラディションとは違う展開も想定しなければならないです。

藤波 昔だったらそういうことに対する耐性があって、全部自分で相手にしてやる!っていうのがあったけど、今の自分がそういう気持ちになれるかどうかだよね。

向こうが介入してきたら、LEONA選手にも入ってきてもらう方がいいですか。それとも助けには及ばないとなりますか。

藤波 うーん、そういうふうにしたいけど(助けは不要)、そこは選手の気持ちだからね。彼が出ようと思うか、親父のやっていることには交わらないとなるのか。本能で動いてしまう状況になれば、LEONAもリングに上がってくるだろうから、そういう気持ちこそが一番優先されるものだと思うし。

父のピンチに息子が駆けつけるというシチュエーションは、今まで…。

藤波 ないね! どういう展開になるのかはわからないけど、今回に関してはそれが一つのアレかな。今までドラディションは、軍団でどうこうっていうのはなかったから、そこに興味を持って見る人もいるだろうね。

引退すると決心できる
ことの方が僕は凄いと思う

新しい風景が見られるかもしれません。こうして藤波さんは、今なお幅広い対戦相手と闘うことで、ご自身の幅も広げています。たとえば昨年は黒潮TOKYOジャパンという、まったくタイプの違う選手ともシングルマッチをおこないました(LUCHA FIESTA4・27両国国技館。51秒、39秒、86秒で一日3連勝)。

藤波 あれもね、先ほど言った猪木さんの存在が常にある中で、これが猪木さんだったらどうしたかなって、よぎりました。でも、今の選手はみんな器用だよね。会場の雰囲気をつかんで、お客さんの意識を自分に向けさせる技術っていうのかな。僕らはそういう余裕もなかったですから。対戦相手にしか目がいかなかった。

入場でえらく待たされて立腹されていましたが、ああいう今風の相手とやることは楽しめていますか。

藤波 楽しめているかどうかはわからないけど、僕が出ることでそこだけ独特の雰囲気になって、一体感ができれば僕としてはいいし、あとはああいう動きのいい選手はそれを大いに出すべきだから。

その後、黒潮TOKYOジャパン選手はドラディションにも参戦するようになりました。そこは、対戦することで認めた部分があったからですか。

藤波 彼のファンをウチに呼ぶためですよ(ドラゴンスマイル)。彼の出番を待っている人たちがあんなにいるわけだからね。まあ、入場には時間がかかるから、そこで延長時間対策をしなければならなくなるけど。

延長料金が発生したら、鍋家黒潮に請求書を回してください。それにしても藤波さんは、どんなタイプの相手でも「そういうのはいいから」とはならないです。

藤波 そこはリングに立つ以上、なんでも一回は経験してみたいというのがいまだにあるんです。ああいう選手とはどのように向き合うか自分の中で考えると、やりたくないとはならない。

55年続けてもプロレスに憑りつかれたままなんですね。

藤波 好きだからって言ったけど、好きなだけでも続けられないのがプロレス。僕は猪木さんやほかの先輩たちにシゴかれて、試合でだらしない動きをしたら、控室から猪木さんが竹刀を持ってリングに上がってきましたからね。お客さんは何事かわからないですよ。そういう時代から今までやってきて、また違った時代の流れの中でファンが楽しもうとするわけじゃないですか。その中に自分は立ち続けたいんです。僕にとっては四方からお客さんに見られるのが自然というか、表裏が全部見られている環境が日常。だからいまだにサポーターをしないし…いや、痛いんですよ! 本来ならば一番、サポーターをしてリングに上がらなきゃいけないぐらいなのに、イメージとして絶対につけない。バカだよねえ。

一つのことを50年以上続けるだけでも、恵まれた人生と言えると思います。

藤波 気持ちが退いたり、体調が悪い時だったりはありますよ。でも、お客さんからもらう歓声から抜けきれない。これほど長く受けているのに、今でもそこから抜けられないんです。東京ドーム、両国国技館、日本武道館のような大きな会場から、野外の広場までシチュエーションが変わると別のものに感じられる。それも抜けられない理由なんだろうけど。一昨年には小倉城でそれを味わえたからね。

2024年11月16日、小倉城天守閣前広場にリングを設営して、城をバックにプロレスをおこないました。お城マニアの藤波さんにとっては念願の、お城プロレスが実現しました。

藤波 戦国武将やその時代の人たちが見に来ている感覚になって、ゾクゾクしましたよ。あとは城の存在感から、バックに建つお城にも見られている感覚もあったしね。あの時はね、小倉城はリングを組める場所が天守の目の前だったから、天守から入場するとか自分で考えてね。開始時間ももっと早くすれば暖かい時間に終わるのを、やっぱりあの城とリングの中に松明を焚きたかった。だから僕がリングへ上がる時間帯に陽が落ちるように合わせたしね。

これも長く続けてきたからこそ形にできたことです。

藤波 そうだよね。もちろんこういうのは行政やいろんな方の協力があってこそのものなんだけど、第2弾、第3弾をやりたいという夢があるんで。

そう、夢を語れるところが素晴らしいんです。70歳を超えるといかにも余生という感じになるものですが、藤波さんはまったく“余”ではなく、今なお“本戦”なんですよね。

藤波 人はね、夢がなくなったら終わり。たとえバカげた夢であったとしても、持ち続けるとその夢のために自分が頑張れる。一つの夢がかなうと、そこから先の夢って見えてくるものなんだよね。だから僕はこのトシになっても夢が尽きない。次は彦根城かな、熊本城がいいかなとか考えることで、こうやって自分が動けているからね。

今まで数々の夢を実現させてきたと思われますが、もしもう一度戻れるとしたらいつの頃に戻りたいと思われますか。

藤波 若さに任せて飛龍革命をやった時代や、長州とやり合った昭和のあの頃がプロレスラーとして一番面白かったので、それをもう一度味わいたいっていうのと、今の自分だったら違うやり方があっただろうからそれを試してみたいっていうのと、両方ですね。でも、過去よりも72歳になった今でも将来を考えるんです。若い頃と変わらず「将来こうしたい」と思えるものが自分の中にある。それを言うと、みんな笑うんですよ。「藤波さん、将来って…もうすぐそこにあるじゃないですか」って。でもそんな僕を、プロレスを通じて見ることによって、同じぐらいの年齢の人がそういう考え方になってくれたらって思うんですよね。

同世代の方にも響きますし、下の世代にとってもお手本になります。

藤波 僕は、この年齢になってもまだまだリングに立てるっていうのは想像もしていなかったんです。でも…やりたくてもできない選手もいる中で、その代わりではないけど頑張らなきゃと思うし。皆さん、自分で決断して引退していくわけですけど、僕はそこで決心できることの方が凄いと思うんです。僕は今の段階で、引退という言葉を言えないですから。

どこかで引退試合、セレモニーという形でキッチリと区切りをつけるのか、それとも生涯現役を貫いてフェードアウトのようにリングから遠去かるのかの選択は、固まっていないんですね。

藤波 ないね。どこかで自分自身に対するケジメとして今日が引退ですって言う必要があるのかどうかはわからないけど、今の自分はそこの大事さは正直、わからない。どちらにするべきなのかがわからないのは、これからもまだ楽しめるということなんじゃないですかね。