鈴木健.txt/場外乱闘 番外編 Vol.117

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2026年11月号では、第148回(本誌ナンバリング)ゲストとしてドラディション・LEONA選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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LEONA(ドラディション)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

2世の選手たちって、
悲壮感はないと思う。
やらされている人間は
一人もいないんで

LEONA(ドラディション)

プロレス界のハブ的な役割、昔と今を
つなぎ合わせるのがドラディション

LEONA選手にとって、自身が所属するドラディションという団体はどういう位置づけになりますか。

LEONA もちろんレスラーとしての生まれ故郷という部分での愛着はありますし、父(藤波辰爾)や西村修さんたちが創った系譜が今もそういった形で残っているのは、自分の中でも大切なことだと思っています。その一方で、一番難しいリングでもあるかもしれません。個人の闘いというものだけではなく、団体すべてのことについていろいろ考えながらやるという点では、ベクトルが違う部分もあるので。

他団体のリングだと100%個人としてやれるのに対し、ドラディションだとそこに付随してくるものがあるということですか。

LEONA ドラディションとは間違いなく藤波辰爾の団体であり、西村さんや長井満也さん、倉島信行さんたちが団結して創った団体でもある。その中で僕が今やるべきことは、ドラディションのリングを充実させるのももちろんそうなんですけど、大会をやっていく上でいろんなものを整えるのも役割だと思っているので、そこはこの団体でしかやっていないことですから。

通常、プロレス団体にはチャンピオンベルトやエースの座のような明確な目指すべきものがあります。ただ、ドラディションの場合、それとは形態が違いますよね。その中でのモチベーションの持ち方はどうしているのかと気になっていたんです。

LEONA そこの考え方…団体に所属するということに関する考え方が僕の場合はちょっと違うのかもしれないんですけど、ありがたいことに他団体さんへ出させていただく中で、個人としてのベルトのような目標は高く持っていたいという思いが強い一方、ドラディションは試合数も含めてテーマも自分の役割も違うと受け取っています。これは父ともよく話すことなんですが藤波辰爾の世代、昭和の世代を見てきた人たちと、平成以降のプロレスを見てきた人たち、長く見てくださっている方々がいる中で、そこから離れてしまっている人たちもたくさんいる。そうした中で72歳の藤波辰爾や、35周年を迎えたベテランの長井さんといった長く活躍した人たちが今もこのリングに上がり、現世代とも闘う中である意味、プロレス界のハブ的な役割というか、昔と今をつなぎ合わせるクロスポイントがドラディションの役割という話になるんです。年間を通じ多くの大会を開催して、チャンピオンベルトを制定してそこを目指していく形とはまた違った団体としての役割が、プロレス界全体的に見てもあるべき。そこに対して僕ができることは選手としてもそうだし、運営をする者としてもあるので、整えると言ったのはそういうことです。僕もこの世界に入って13年ですけど、少数精鋭でやっていく中で宿命づけられている部分があると思ってやってきました。本格的にはこの3、4年ぐらいですかね。中のこともだいぶやるようになってきたので。それは大会の規模感のこともそうですし、大会のテーマを皆さんにどう提供するか、もちろん細かい運営に関しても少しずつ形になってきて、新しいフェーズに団体を上げていく段階と感じています。

DRAGONGATEのタッグリーグ戦にストロングマシーン・J選手と組んで出場しましたが、他団体でタイトルマッチがおこなわれたり、同世代や現世代の選手たちが切磋琢磨したりしているのを間近で見ると羨ましく映るものですか。

LEONA まさしく羨ましいです! 言葉として適切なのかはわからないですけど、この業界の中で僕ってけっこう一人なんですよ。それはドラディションでデビューしたのも大きな理由ですけど、僕がデビューした2013年というのは業界的にもデビューした選手が少なかったんです。そういったことも含めて、テーマを持てる相手が同じ世代にいなかった分、他団体に出た時に羨ましく思ってしまいます。

LEONA選手の場合、そのつどそのつどのテーマや話題性は大きくとも、線でつなぎづらいものであるのがハンディだなと思っていました。何をやっても単発で終わってしまう。

LEONA たとえばですけど、同じドラディションに同世代の選手がいればそういったものも描けたと思います。でも、やっぱりいろいろ見方も立場もあると思いますし、僕はプラスアルファになるものをその中でいっぱいもらいました。現実問題として、自分に欠けているものがそうした同世代とのぶつかり合いというのは自覚していたので、デビューしてから間もない頃はもっともっと!ってなっていたと思います。

キャリアを重ねた今はどうなんでしょう。

LEONA 今回のDRAGONGATEのように他団体へ出ていくのも増えてきて、相手も僕が外から来たら「そうはいくか!」っていう姿勢で迎え撃ってくれるし、J選手とは組んでいますけど、そこは単に同じ2世という肩書きがあるからという結びつきではなく、一選手同士として組んで、競い合いができている。それが自分はすごく心地いいんです。

10年以上キャリアを重ねてきた中で、藤波2世という立ち位置からは脱却できていると思いますか。

LEONA ……これが正しいかどうかっていうのは僕がリングを降りるその日までたぶんわからないと思うんですけど、いろんな2世のタイプがあると思っていて。アメリカも日本もそうですけど、 2世というと親の世代がリタイアをした、引退をしたあとにデビューするのがこれまではほとんどだったと思うんです。最近になってDRAGONGATEの望月家や葛西さん父子と増えてきましたけど、その中で藤波家というのは家長が72歳であれほど健在で奇跡のように闘えている点で、従来の2世とは違った方向性、僕らだからこそ見せられる物語があるという考え方を実はずっとしていまして。この藤波家の形は、そうやって頑張る父の家柄だからできる。だとしたら、その親とその子でもあるレスラーによる2人の物語の紡ぎ方…ですよね。

セカンドジェネレーションによる新しい見せ方。ただ、それはまだ形になっていないですよね。

LEONA そうなんです。これまでは親の藤波辰爾がいてこそ、このLEONAがいるというところで見たいと思っていただいたところからのオファーに全力で応えて、世界中や日本中の人たちに親と子が同時にリングに上がる姿は、僕らしか見せられないという自分たちなりの責任感の中でやってきた。それによる一つの形がこの十数年だったと思うんです。

父子タッグだからこそ体現できるものを意識した上での13年だったと。

LEONA はい。それを第1フェーズだとしたら、ここから先はどう持っていくか。僕はヒーロー映画が大好きなんですけど、そんな物語でも最初はともに歩んでいく道があっても、いつか離れる時が来る。それが、13年目に入ったここから先なんだと受け取っています。

改めてあれから13年が経ったと思うと正直、驚くんですよね。

LEONA 本当ですよね。僕もいまだに船木誠勝さんにデビュー戦で蹴られた痛みも含めて鮮明に憶えていますし、その間に大きなケガもしてコロナ禍も経験した。その中で、どこまで父と子でともにリングへ上がり続けるかは常に2人で真剣に考えてきたことで。やっぱり2人でというシチュエーションばかりにフォーカスがいくのは間違いなかったんですけど、自分のキャリアが10年を過ぎたところで、次のステップのタイミングが来たなとも感じていました。本当の意味で個としてのものを確立させる、親子として見せる意義もありつつ自分自身を見せていかなければという段階ですよね。

実際、個としてのプロレスラー・LEONA像はどのようにつかめていますか。

LEONA そこは自分自身がどうというよりも、DRAGONGATEに上がった時もお客さんが自分の名前を呼んでくれるだけでも時の経過を感じます。僕は藤波辰爾を目指し、いつか闘いたいと思ってこの業界に入ったので、そこの立場に関しては十分に理解して、それをどう消化し次のフェーズにつなげていくかっていう部分でやってきた。少しずつ、自分の中でやり方も見えてきている感触はあります。

プロレスラーになる前から藤波辰爾と対戦したいと思っていたんですね。

LEONA 思っていたというよりも、そうなるのかなあっていう感じの方でしたね、曖昧な表現ですけど。なんとなくそういう絵がおぼろげにあった。それは、父がやめるという姿が想像できなかったんですよ。普通だったら、僕は40歳の時の子どもですから、世間で言うと遅生まれだから、たとえ自分がプロレスラーになれたとしても年齢的には不自然な想像なんです。にもかかわらず、どこかで巡り会うことができるだろうっていう確信のようなものがあったんですよね。

まだ一度も対戦はしていないですよね。

LEONA 一度もないです。なんというか、僕の中ではワン・アンド・オンリーでいいというのがあって、それは父も同じ考えだと思うんです。その上で13年やってきて父も子も、もうそろそろかなとまったくなっていない。ただ、さまざまなシチュエーションで真剣にプロレスの話を深くしてきた中で、お互いここになるんだろうなと感じ取っているものはあります。

それは、今じゃないんですね。

LEONA はい、今ではない。一度だけのもののきっかけをどこで作るかは、もうお互いの感性だけだと思うので。

お父様の年齢を考えると10年、20年後とは言っていられないですよね。

LEONA そうなんです。その中でのしかるべきタイミングのようなものは、お互い口には出していないけれども合致している気がします。僕の中で、それは…藤波辰爾の最晩年だと思っています。その時が来れば、お互いの気持ちがぶつかり合いにいく。

プロレスラーになる前から抱いていた予感と願望が混ざったものを、先を急がずしてこれほど長く待つことができるものなんですね。

LEONA そうですね、本当に10回、20回当たって何勝何敗というイメージはまったくなかった。1回だからこそ、その時を待てるんだと思うんです。だから、このキャリアを積んで父が72歳になった今も、そこはまったく急いでいないですし、変わらず僕の中にあるものです。

キャリア13年を重ねても父の付き人を
続けるのはそこにやり甲斐があるから

キャリア13年の現時点で、プロレスラーになる前に描いていた自分にはどれほど近づけていると思いますか。

LEONA いやー、まだまだです。正直に話すと、僕が初めてプロレスラーになる夢を描いた時、父は新日本プロレスにいましたし、中学1年生になるまでは新日本プロレスしか会場で見たことがなかったぐらい没頭していたので、当時は新日本プロレスの門を叩きたいって真剣に思っていたんです。ただ、その後に時が流れる中でいろいろなことがあり、一つひとつ時間をかけながらプロレスラーとして積み上げるものはなきゃいけないとわかってはいますけど、当然ながら子どもの頃に考えていたキャリアとは違います。その上で、藤波辰爾というあれほどの存在の中に飛び込んでいくことの難しさを、デビューが近づくにつれてどんどん感じていました。藤波辰爾が業界から離れていて、ある程度距離感があったら自分と父、ファンの方と僕の接し方もそれぞれ違う方法もあるかなと思っていたので、これは難しくなるなという予感があったんですね。

やる前からいろいろと覚悟はしていた。

LEONA 取り巻くものの何もかもが、ほかの団体の選手とは違いましたから。父と比べられたり、あるいは藤波辰爾の息子だからというフィルターをかけた状態で見られたりするのは大変じゃないですか?ってよく聞かれるんですけど、物心がついてからゴルフをやったり、スポーツを一生懸命やってきたりする中で、子どもの頃からそれを経験してきていたので、プロレスであろうが別の競技であろうが藤波という名前がついて回ってくるのが日常というか、自然だったんです。それを覚悟の上で結局は自分でプロレスラーになる人生を決めているので、自分で自分の人生のけじめをつけることに関しては、昔も今もあまり変わらなくて。そこに対しうまく成果が出ようが出まいが、全部自分の実力次第なんだという受け取り方が、当たり前のようにあるんです。

ご両親の反対を押し切ってなったわけじゃないですか。13年続けてきて、そこの距離感に変化はあったのでしょうか。

LEONA 母(伽織さん)に関しては、父がケガをした時の身体的な部分の悩みをずっと見てきたことでの反対だったんだと思いますけども、今はけっこう割り切っているというか。そこも藤波辰爾を45年間ぐらい見てきたわけですから、自分で決めたんだったら覚悟を決めてやりなさいと言ってくれています。父に関しては、デビューする前の時点で「これからはある程度の距離をとるからな」と言われました。タッグに関しては先ほど話したような需要に応え、自分たちがプロレス界にできる、残せるものを全力でやろうという共通認識があるんですけど、僕が個人として…細かく言えばスケジュールに関しても全部そうなんですけど、デビューした頃から「そこに俺が関わるつもりはない」っていう距離感がずっとある。僕が他団体に出場する時も、会場に来て見ることは一度もないですから。一緒に出る時は見るでしょうけど、そこはやっぱり「俺が近くにいるべきじゃない」というのがあると思うんです。なので、そこがお互いに決めた距離感で、それは13年経っても変わっていない。

自宅やプライベートでは父と息子の距離感なのが、プロレスに関してはそこが変わって適切な距離感をお互いがとろうとする感覚というのは、我々には想像できないものです。

LEONA 入門にあたるのがデビューの1年半前になるんですけど、そこから約15年、親と子におけるタメ口で話したことはないですね、プライベートも含めて。実家に帰ったとしても、その中でお互いの線引きが自然とできていて、プロレス界における距離感が主になっちゃっている。この前もそういう話をしたんですけど「今では『○○だよね』みたいな感じでおまえから言われると、恥ずかしいかもしれない」と言っていました。

切り替えているのではなく、プロレス界における距離感のまま普段も接しているんですね。

LEONA そうなりましたね。それがこれから、どういう距離感になっていくのかはわからないんですけど。

普段はお父様のことをなんて呼んでいるんですか。

LEONA これが面白いというか、主語がなくなっちゃっているんです。プロレスラーとしての距離感でいったら「お父さん」も「パパ」もおかしいじゃないですか。そうすると「ねえ」みたいに一人称でなくなってしまっている。でも、何か相談事を話しかけるとしたら感覚的にはやっぱり目の前だと「すいません」なんです。仕事の場だったら、シチュエーションによってはこの取材のように「父」と言えるんですけど、本当に、以前は呼んでいた「お父さん」を言わなくなりました。それが15年続いています。

昔のように「お父さん」と呼びたくなる時はないんですか。

LEONA それも、闘う時と同じでしかるべきタイミングで来るんだと思っています。父も自分なりにこの業界で踏ん張るって決めている以上、今の距離感が心地いいのかもしれないですし。

そうするべきだというよりも、その方がレスラーとして、父子として2人で同じ業界にいる中では自然なんですね。

LEONA ほかが同じかどうかはわからないですけど、おそらく藤波家にしかない感覚なんだと思います。確かに各家庭がどうなのか、どう呼び合っているのかっていうのは興味深いですけど、一つ大きいのは僕の場合、付き人をやっている。昔は新日本の皆さんがやってくださり、無我ワールドになってからは倉島さんや竹村(豪氏)さんが務めてきて、そこから僕もやり方を教わって今も続いています。その距離感のままで来ているから、ほかの父と子の関係とは違ってくるのかもしれません。

今も藤波辰爾の付き人なんですね。

LEONA リングシューズを磨いて、着替えを手伝っています。

キャリアを13年積んでいるのだから、もう卒業でいいんじゃないかと思ったりはしないんですか。

LEONA そこに関しては、同じ団体で引き継がれてきたことに対してのやり甲斐を感じているんだと思うんですけど、できる限りやれたらっていうのが正直なところなんです。

はー、すごいです。他団体で10年選手が率先して付き人をやるなど聞いたことがないですから。

LEONA 今となっては僕一人で務める時間が長くなりましたけど、倉島さんや里帰りした竹村さんが今は一緒にいる状況になって、父との昔を思い出してやってくださったりもしますし。新日本の頃、井上亘さん(現在はフロントとして所属)が付き人をやってくださっていた時期があったんです。それでこの前、父が新日本プロレスへ出た時に、僕がすぐ前の試合だった。普段ならガウンの着付を僕がやるんですけど、どうしてもそれができないタイミングの時に、井上さんが「やってもいいですか? 実はもう一度、藤波さんにガウンを着せたいんです」って言ってくださって。

うわー、いい話ですねえ。

LEONA それを見た時に、付き人というポジションも受け継がれていくもので、それを今、自分がやっていることに対してのやり甲斐を改めて意識したんです。ドラディションという団体における藤波辰爾のサポートの仕方っていうんですか、この形が自然なので。相撲界だと、そういうケースがけっこうあるじゃないですか。親方がお父さんで、子が弟子として入ってくる。若貴さんがそうですけど、自分も同じようにしなきゃいけないのかなという思いがあった時もありますけど、そこは作り物じゃなかなか続かないですから。本当にそこへ没入していかないと、そういう関係性って築けないですからね。

逆に言うと、そういう関係性を藤波辰爾と築けるのは世の中で一人だけです。

LEONA そうですよね。藤波辰爾の至近距離に、この十数年ずっといれたという財産、それはもう、もう間違いなくあります。

プレイヤーとしては、この13年間で忘れられない試合は何になりますか。

LEONA それは、いいことというよりも辛かった試合の方が出てきます。そのたびに、自分の立場であったり、ああしなきゃいけないこうしなきゃいけないっていうところだったりを思い知らされる。そういう試合の方が僕にとっては大きいものとして残っています。忘れられないって言ったら、まずはデビュー第2戦。デビュー戦(vs船木誠勝)は、当時は恐怖でしかなかったんですけど、今は本当に感謝という形になっていて忘れることはないんですけど、第2戦の長州力さんと坂口征夫さん(当時、DDT)との試合は始まる前から控室に戻るまでがもう忘れられないです。とは言いながら、後半はリキラリアットで飛ばされて記憶がないんですけど。同じ叩き潰されるにしても、デビュー戦の方は船木さんがそうすることで、デビュー戦というものを華々しくしてくれたと受け取れましたし、その中で自分の持ち得る以上の力を引き出してくださった。だからこそ、たくさんの方々から拍手ももらえましたし、記者の方々も含めてポジティブにとらえていただけた部分は絶対にあったんです。それに対しデビュー2戦目は、自分の中でプロレスというものをこれからどう理解をしていくかというところで進めていく中、いろんなものがある程度整っていく前に長州力という存在が目の前に現れた。もちろん因縁もあるわけではないので、先輩後輩として握手から始まる試合のつもりでいったら顔面を張り飛ばされて、そこでもうパニックでした。そこからラリアットが飛んできたなという最後の残像まではあるけど、早く立って控室に帰らなきゃと思ったはずなのに、翌日の新聞を見ると5分も倒れていたと書いてあった。あとはデビュー2戦目で、メインイベントだったんです。その前の段階でそうそうたる方々が出ている大会で、そういう緊張感から試合がパニックになって、ボロボロになって負けたんですね。そして、これも忘れられないんですけど、試合後にライガーさんが本気で僕を怒ってくれたんです。自分が試合でちゅうちょするところが見えたんだと思うんですけど、それを言葉にして激しく控室で怒ってくれた。

そこはデビュー2戦目で長州力と対戦してよくやったとはならなかったんですね。

LEONA 控室に戻るや「てめえ、この野郎!!(怒)」でした。僕が父に「ありがとうございました」と言いにいくよりも前に。

僕のような存在はムカつくに
決まっている。それが自分の力に

獣神サンダー・ライガーといえばLEONA選手が小さい頃にあこがれて、幼少期の頃に髪を伸ばし、コスチュームを着て一緒に東京ドームの花道を入場(2002年10月14日)したほどに縁がある方ですよね。

LEONA 藤原辰爾の息子、しかも父親がその場にいてメインイベントで闘っている状況で、僕という存在って正直、扱いづらいじゃないですか。選手からしても、先輩にしても後輩にしても。その中で僕は今、あの時のことにめちゃくちゃ感謝しているんです。あのあと、何年か経って初めてライガーさんに褒めてもいただいたことがあって。その時に思い返しても、怒ってくださったのが嬉しく思えて、幸せなことだったなって。

怒るだけではなく、ちゃんと褒めてくれた。

LEONA 若手同士でバチバチやる試合だったんですけど、それをライガーさんが控室で見てくださる状況があったんです。ライガーさんになりたいと思っていたファンで、その方に怒られ、褒められる。それは僕にとって大きい出来事でした。そういう経験って、自分をもっともっと突き詰めていく中で必要な材料じゃないですか。よかったことは二度三度同じことを繰り返しても変わらないですけど、悪いことは何かの材料に絶対なる。その後も上の世代の方々とやらせてもらう機会が多かったわけですけど、スタートからそのペースだったので、そのつど投げかけられる言葉であったり、ファンの方からの意見や目線であったり、同僚のレスラーから向けられる目線っていうのは、よかった時よりも厳しかった時の方が、必要なものなんだなと思います。

橋本大地選手もそうでしたが、2世レスラーの宿命としてスタートから通常のデビューを果たした若手とは違うハードルの高さを課せられるものですよね。本当に、2世レスラーにしか辛さがあるのに、なかなかそれが理解されない。

LEONA ゼロから入門して、叩き上げでスターになっていく選手いますし、親という名前ありきで出ていく僕らみたいな存在もいる中で、そこがぶつかるからこそプロレスって面白くなっていく。それはやっている自分も思うことで。もともとがプロレス小僧だったんで、自分で言うのもなんですけど、何もないところから叩き上げられてきた選手からしたら、こんな存在はムカつくに決まっている。

それを自分で!

LEONA 僕がその立場だったら、そうなります。こっちはこっちで這い上がってきたんだ!っていう気持ちはありますけど、でもそんなことを相手に言うのは野暮じゃないですか。だからそこは、お互いがプロレスのリングでぶつけ合うしかない。そこに生の感情が生まれて…闘っていて今、俺にムカついてんだろうなって目でわかるんです。それこそエルボー一発でも伝わる。

ネガティブな感情をぶつけてくる。それをいく先々で13年間、向けられてきたわけですね。

LEONA そういった意味での敵は多いです。でも棚橋(弘至)さんがよく言う「主人公はいろんなところからベクトルを向けられる」という考え方からすると、ムカついてもらうのは僕にとっても原動力になる。こっちだってムカつきますから。

前回のドラディション後楽園の高橋裕二郎戦などはまさに、そういう展開になりました。

LEONA ムカつかれることも僕には宿命的なものだとすると藤波辰爾にあこがれ、藤波辰爾の息子だからプロレスラーを目指したいと思ったのは間違いない動機なんで、そこを変に切り離すのではなく背負っていって、その上で評価してもらえればいい。それは藤波辰爾がリングに上がり続ける限りは変わらぬものだし、もしかするとそういうシチュエーションを僕に与えてくれるために、リングに上がり続けているという部分もあるのかもしれないです。

13年も試練と課題を与え続ける父親ですか。

LEONA ここに来てさらに元気になったという説もありますからね(微笑む)。

これから個を築いていく意味でも、11・6後楽園のストロングマシーン・J選手とのシングルマッチは重要な一戦になってくるでしょう。

LEONA 彼とはもとから知り合いだったわけではなくて。組んでから親近感が出てきた形です。新日本時代に会ったプロレスラーの子どもたちで記憶に残っているのはライガーさんの息子さんだったり橋本大地選手だったりで、業界に入ってから初めて接点ができて、今まで2回ぐらい闘うこともあったんですけど、タッグとかでちょろっと当たるぐらいの接点でしかなかった。それが今年、J選手が父と組んでアジアタッグに挑戦したことから大きく動き始めて。DRAGONGATEのタッグリーグ戦に2人で出場しましたけど、彼の場合は同じ2世という立場でもマスクもリングネームも、僕以上に闘ってきたものがあったと思うんです。

姿は父とほぼ変わらないわけですからね。

LEONA 組むようになってからもプライベートで仲よくしているわけではないので、本当にリング上の接点というところだけでやってきて、それを感じました。お互いを理解するようになったのは、この半年です。

控室では父同士に関する話になったりするものなんですか。

LEONA しますよ。それこそ彼が藤波辰爾と組んだ試合後に、控室でお父さんの平田(淳嗣)さんに電話をつないだこともありましたし、お互いの父の近況を話したりもしますけど、リーグ戦が始まったら試合に関する話ばかりになりました。これは彼がバラしていましたけど、前にテレビ番組で対談をやった時に僕が素で本名を言ってしまうという事件をやらかしたことがあって。それが彼としてはすごく印象に残っていたらしいんです。

ストロングマシーン・J選手は、本名非公開なのに。

LEONA それで「親子二代でやりやがって!」というのは、あの時(藤波と組んだアジアタッグ戦)のリング上以外でもよく言われます。ただ、そうした歴史があるから僕らはこうして1対1で向き合うことができる。そこも話しましたね。その会話の節々から、さっき言った彼も(2世として)闘ってきたんだなっていうのが感じられたんです。おそらく2世の選手たちって、それこそ大地さんもそうだと思うんですけど、辛いとかクッソ~ッ!とか、なんでこんなことを言われなきゃいけないんだと思うよりも、向き合っていくことに必死でそこに悲壮感はないと思うんです。やらされている人間は一人もいない。みんな、親からこれをやれって言われて入ってきたわけじゃないんで。

むしろ反対されるのを突破してきた。

LEONA そう。だから、そういうのを向けられるのはわかりきった上でそれでもこの道を選んだ者たちばかりなんで、みんなが俺は俺だっていう覚悟を持っている。それは話していて感じます。だから、あんなことを言われたから…とはならない。

ネガティブにはならない。

LEONA 今は特に、SNSでネガティブなものが向けられると直接、自分たちにぶつかってくるじゃないですか。でもそれを2世同士で「こんなことを言われて…」みたいにぶつけ合うことはなくて、僕もJ選手もそれに左右されることなく純粋にプロレスラーとしてこうしてみようというスタンスでしかないです。

当日は当然、父同士の闘いを見る側は投影すると思われます。

LEONA そこもプロレスファンだった自分は、そう見られて当然だと思えます。彼もマスクを受け継いで、僕は藤波辰爾の息子と公にしている限りはそこと比べられることも投影されることも覚悟の上でやります。

藤波辰爾vsスーパー・ストロング・マシンは、ストロング・マシン1号としてのものを加えると3度シングルマッチが実現していますが、中でも2度目が例の「おまえ、平田だろ」発言の直後だったこともあり、語り継がれています(1985年7月19日、札幌中島体育センター)。あの時はマシン軍団の乱入によりノーコンテストに終わりましたが、今回の一騎打ちは乱入者などいないと思われるので、無効試合にはならないでしょう。

LEONA さすがにそうはならないと思いますけど、そこがベースとしてありながら、僕とJ選手ができる2世たちの闘い方っていうのは絶対あると思うんです。僕らは名前があるところから出てきてレスラーになったことを踏まえると、親の世代の技を使うことに関してもいろんな意見があるのが当然でしょう。それはもう、血の中にある自分たちのアイデンティティーであって、そういったものを持った上でそれ以外の部分もぶつけ合うことで親とは違うものを見せる努力をするのが、間違いのないことだと思っているんです。時代的にも、ようやくこうしてその場が巡ってきた。自分たちの時代、世代のものを築いていく覚悟であったり心意気であったりっていうのは各選手、持っていますしこれに関する使命は、我々じゃなければ果たせないものですから。

本当に、セカンドジェネレーション同士によるプロレスの形を体現できる時代に入りました。

LEONA プロレスって一筋縄ではいかない世界だということは、この13年間で肌身に感じてきたことでした。だからこそ、そこに鬱屈していてもキリがないじゃんっていう答えに達することができて。リングに上がって、うまくいこうが恥をかこうがすべてをさらけ出す。アントニオ猪木さんではないですけど、すべてをさらけ出した上での自己評価ではなく、見る側にどう感じ取ってもらえるかがすべてなんだと思うんです、プロなら。

そうした2世たちによるムーブメントの先に藤波辰爾戦はあるんでしょうね。

LEONA タッグで見せることに関しては、この10年間である程度できたと思っていて。その先の藤波家の物語を今は紡いでいる途中です。

デビュー当時に「ゆくゆくは“藤波”を名乗りたい」と言っていました。その意志は今も変わらないですか。

LEONA はい! そこは歌舞伎に近いのかもしれません。父と闘う日が来たら、その日に名乗るかもしれませんし、今の時点でいつになるかという目安は自分の中にはないです。でも確実に、来ると思っています。

その日を待ちたいと思います。ところで少年時代のあだ名が「ソバボーイ」だったLEONA選手が今、ハマっている麺類はなんでしょう。過去にカチョエペペや瓦そばをオススメしていましたが。

LEONA 今は…うどんが来ています。

原点回帰のようですね(大学生時代、うどん店でアルバイトをしていた)。

LEONA 今、九州のうどんが非常に気に入っていまして。最近になって「資さんうどん」が東京にも進出してきたじゃないですか。一昨日もイベントプロレスで福岡にいっていたんですけど、博多と北九州だと同じうどんでも違うという話を地元の方から聞くと、ちょっとゾクッとするという。もちろん、フランチャイズ店の中で資さんはおいしいと思いますが、僕は北九州の味の方が合う。ちょっと濃ゆくて、ちょっとコシが強い。博多は柔いのがいいという方が多いのに対し、小倉は柔いのはダメって言うように、文化的衝突がある。そこを楽しむことを含めて今の僕はうどんと、スターウォーズとマーベルとディズニーで形成されています。