鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2021年3月号では、第83回ゲストとしてスターダム・岩谷麻優が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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岩谷麻優(スターダム)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

スターダム=家族という思いが強いので
生え抜きとしてその価値を大事にしたい

岩谷麻優(スターダム)

煽りV撮りで武道館進出を知って
1ヵ月黙っているのが大変だった

最初に日本武道館へ進出することを聞いた時の思いからお聞かせください。

岩谷 自分はみんなよりも早く、日本武道館大会の開催を発表するVTRを撮りにいった時に知らされたんです。その時点では私も何も知らずにまず後楽園ホールに連れていかれて、カメラが回り始めて「今からとあるところにいきます」と言われて。そこから歩きながら10年間の思い出を語ってくださいというようなことを言われて、話しながら歩くわけです。

水道橋から九段下は20分ぐらい歩きますよね。

岩谷 何も聞かされずそんなに歩かされるという。私自身も10周年なんで、そのための煽りVなのかなと思ったんです。それでいったんカメラが止まって、スタッフさんのあとをついていったら“日本武道館”という標識が見えて、あれ?と思って。それで武道館の正面に着いたところでカメラを回しますとなって「3月3日、スターダム日本武道館大会決定です」とスタッフさんに言われて、そこで「ええっ!?」ってなったんです。

素で驚くシーンが撮りたかったんでしょうね。

岩谷 だから初めて聞いたのは日本武道館の正面ということになるんですよ。衝撃ではありましたよね。ほかの選手は会場(11・15仙台サンプラザホール)で発表映像を見て知ったんですけど、自分はその時点で実感がないわけです。いきなりそんなことを言われても正直、スターダムが日本武道館でやれるなんて想像さえしていなかった。10周年だから大きいところでやるとは思っていましたけど、それは両国国技館とか横浜武道館だろうなと。

スターダムは、そういうことさえも選手に教えない社風なんですか。

岩谷 そうなんです(キッパリ)。撮影したあとも「これは誰にも言わないでね」と言われて。発表まで1ヵ月近くあったので、それまでは誰にも言えず黙っているのは大変でした。10周年をどんな大きなところでやるのかというのは、選手の間でも話していたんです。だから聞かれたら、私は「う~ん、両国がいいかなあ」とかいってごまかしていました。そういう会話の中でも、日本武道館というのは誰からも出てこなかったぐらいだったので、発表になった時はみんなビックリしていました。試合の合間に発表されたんで、バックステージで「今の見た!?」みたいになって大騒ぎでした。そこに私が映っているから「麻優さん、いつから知ってたんですか!」って。

そのつるし上げられているシーンも撮っておいてほしかったです。

岩谷 アハハハハ。みんなの驚いているところを見られたから、我慢していた甲斐はあったかな。

その撮影の時を除いて日本武道館にはいったことはあったんですか。

岩谷 コンサートとかではなくて、この業界に入ってから1回だけプロレスを見にいったことがあります。大きな会場って、演出がすごいじゃないですか。レーザーとか照明とか、そういうのがうらやましいと思いました。

岩谷選手は新日本プロレスの東京ドーム大会でより広い会場を経験していますが、日本武道館となるとまた違った受けとらえ方になりますか。

岩谷 東京ドームは提供試合という形で、スターダムとしてではなかったんで。東京ドーム以外にもMSG(マジソンスクエアガーデン)、アレナメヒコのような大きなところにも出させていただいて、そこでも演出でテンションが上がりました。MSGでは入場時に被って本来はリングインしてから脱ぐオーバーマスクを花道の途中で取っちゃうぐらいにあの雰囲気が快感で。それを今度はスターダムの大会として体験できるのが、今から楽しみで仕方がないんです。

東京ドーム、日本武道館、両国国技館、MSG、アレナメヒコ…男女合わせても、これほどの世界中の大会場を経験できるプロレスラーは限られます。

岩谷 本当ですよねえ。私、スターダムに入った頃は一番先にやめると思われていたんです。仲間にも「あんなやつに勝っても嬉しいの?」って罵られたりで。当時の自分を思えば、あり得ないことです。大きな会場に出られるようになった当初も、自分がこんなすごいところに上がって大丈夫なのかって思っていましたけど、それが楽しいと思えるようになったのがマジソンでした。そこからはもう、この瞬間を楽しんじゃえと思うようになって、緊張で何もできなかったということもなくなったんです。

舞台の大きさが自分を変えてくれた。武道館が決まった直後も、そういう場という考えでしたか。

岩谷 自分が知った時点では、赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)を持っていたので、タイトルマッチをメインでやるイメージをしていました。でも、発表された日にベルトを落としてしまって、やっちゃったなあって。この10年、スターダムとともに歩んできたのに、そのための大舞台でメインに立てないというのも…とは考えました。それでも、やる分には同じ姿勢で臨めるとは思うんですけど…そういうのって、相手にもよるじゃないですか。

世志琥選手ですね。

岩谷 世志琥は…ホント、一番仲がよかったんですよ。もともと寮で一緒に住んでいたし、寮を出たあとも練習にいく時も公園で待ち合わせしていったり、帰りも一緒にご飯を食べにいったりして。落ちこぼれの私が一人暮らしの時に「練習にいきたくない」とか、引きこもっちゃって試合に出ないことがあったんです。その時に世志琥が何回も迎えに来てくれた。当時は千葉の津田沼に住んでいて、アパートの1階でエアコンの横に小窓がついた部屋だったんですけど、そこを無理やり開けて、寝ている私の顏の上に世志琥が顔を突っ込んで「生きてるー?」みたいな感じで。こんなところに閉じこもっていちゃダメでしょって寮に引き戻されました。だから自分がこの10年続けられているのは、世志琥のおかげでもあるんです。

その時の一人暮らしというのは、寮生活を飛び出してのものということになるんですか。

岩谷 そうです。駅から徒歩40分なんですけど、3万2000円という家賃の安さに釣られて。

唯一の友達が目の前から消える
戻る場所を作っておかなければとも…

別々の道を歩むことなった当時は、どんな思いだったんでしょう。

岩谷 あの試合(世志琥=当時は世Ⅳ虎と安川惡斗戦)が終わって控室に戻った世志琥のところにいったら「いいからとりあえず締めてこい」と言われたんです。その時点で世志琥は冷静でした。それで自分がリングに上がってエンディングを締めて戻ったら、世志琥と(ロッシー)小川さんが大乱闘になっていて。

小川さんが乱闘しているんですか!?

岩谷 メッチャ前蹴り出して小川さんを蹴っているんですよ。それでも小川さんもつかみかかっていって大喧嘩でした。それをはがしました。

世志琥選手と小川さんのバトルを岩谷選手が止めるってすごい光景ですよ。

岩谷 それで、そのあと焼き肉にいって世志琥が「ウチはもうリングに上がれないよね…」と言ったんですけど、まだ大ごとにはなっていなかったので「大丈夫でしょ」と気楽に思っていたら、ニュースになってあっという間に広まった。そこから会えなくなったんです。会いにいこうとしてもストップをかけられて。

では、世志琥選手がリング上で引退の挨拶をした日まではコミュニケーションをとっていなかったんですね。

岩谷 はい。あの時もリング上で引き留めたんですけど、去っていった。そこからは会っていないです。

あそこは個人の気持ちとして引き留めたかったんですね。

岩谷 はい。

やはり別れたくなかった。

岩谷 ……うん。本当に…友達だったので。自分は山口県から出てきて友達がいなかったんですよね。もともと人見知りだし、誰かと仲よくなることがなくて、東京で初めてできた友達がヨシコちゃんだったので。

ほかは友達になれないのに、世志琥選手だけ友達になれたのは?

岩谷 なんだろう…一緒いて普通に楽しかったし、普通にバカやってたし。あとは一緒に住んでいたから、何をするにも一緒にいることが多かったので。

そんな唯一の友達が、ある日を境に目の前から消える…自分自身がプロレスを続けることに影響は及ばなかったんですか。

岩谷 ああ、そこに関しては自分がまだ全然ダメなのに、世志琥は赤いベルトに絡むトップだったので、そこまで差があると世志琥がいなくなったから自分はもうダメだというレベルではなかったです。世志琥がいてもいなくてもダメだったので。でも、いなくなったからこそ残ったメンバーが頑張らなければいけないとなったし、影響という意味ではむしろプラスに転換できたんだと思います。ましてや自分からプロレスを取ったら何もないし、家出までして出てきたからには、世志琥がいなくなったから続けられないとはならなかった。逆に戻ってくる場所を作っておかなければという思いの方が強かったです。

ということは、いつの日か一緒にできる日が来ると思っていたんですね。

岩谷 その時は思っていました。でも結果的に違う団体へ入ったので、その時点でなくなったな、会うこともないなと思いました。

よく気持ちを断ち切れましたね。そのような過去があった上でのリング上における再会でした(スターダム12・26後楽園に世志琥が乱入)。顔を見た瞬間の気持ちはどんなものでしたか。

岩谷 最初は「えっ?」ですよね。乱入するなんて思ってもいなかったし、なんで来たの? 私と対戦? このタイミング? みたいに次々と“?”の繰り返しで。久しぶりに顔が見られて嬉しいとか一瞬でも思うより、先に喧嘩腰できたので。

5年半ぶりの会話の第一声が「喧嘩売りに来ました」でした。

岩谷 会話の入り方って大事じゃないですか。「お久しぶり!」って来ればこっちもお久しぶりってなるけど「喧嘩売りに来ました」って言われたら、どんな過去であろうとも「はぁっ!?」ってなりますよね。そこは「何なんだよ!」ってなりましたけどその一方、心のどこかで闘いたいというのはずっとあって。10周年に誰と闘いたいか聞かれたら世志琥、紫雷イオという名前をあげていたので、それが実現できるのは嬉しいし、お客様も見たいだろうなと思うんですけど、中には批判的な意見もあるようで。

一度やめた人間にかかわるなという、ファンの声も確かにあります。

岩谷 そういう声があっても、最終的には自分の判断でやるという選択をして「最高の舞台を用意する」と伝えにいきました。赤いベルトを落とした時点で、今の私は何も持っていないから武道館に関してはお祭り感覚なんです。今のスターダムの中で、スターダムの人間と闘うとするなら、それは赤いベルトが懸かった試合しかないと思うし、でもそれは今ではない。そうなると、これが現時点におけるベストなんじゃないかな。

対戦要求されて、即決はしなかったですよね。

岩谷 自分は10年間このリングで生きてきた。でも向こうはスターダムを捨てたも同然の人。そんな人間に喧嘩を売りに来たと言われたら、内心いつかはと思っていてもちょっと待てよってなりましたね。スターダムを離れてからはまったく会うこともなかったばかりか試合さえ見たことがなかったので、どんなスタイルになっているかのイメージもないし、あの頃の記憶以外であるとしたら、お菓子を作っているところだけなんです。だから楽しみと不安の両方あります。

当日までに試合の映像を見ようと思わないんですか。

岩谷 自分、プロレスの試合を見るの好きじゃないんです。

いやいや、そういう問題ではなく勝つための研究として見ないのかと。

岩谷 しないんですよねえ。わからないまま試合に臨んで、その不安が自分は好きなんですよ(ニッコリ)。なんていうか、知り尽くしていても面白くないじゃないですか。リング上で「こんなことやるの!?」と思わされた時にドキドキして刺激になるというか、それが楽しみなので。研究しないで闘って、ちゃんと対処できるかわからないから不安はあるけれど、それさえも体現して見せた方がいいと思うんです。

勝敗とは別に、世志琥選手とはどんな結末を望みますか。

岩谷 仲良くなりたい!

あっけらかんとしていますね。以前の関係に戻りたいと。

岩谷 やると決めた時に握手はしていますから。私は世志琥がやめたことを恨んでもいないし、今も恨み合っているわけではないと思っているので…ただ、プロレスはどう転ぶかわからないものじゃないですか。

試合は生ものですから、当事者の意図している方にいくとは限らないです。

岩谷 どの試合においても自分がどういう感情になるかは、その時になってみないとわからないのがプロレスであって。だから試合をやって、これから組みたいという思いが生まれたら、その場で組みたいと言うと思いますし、これっきりでいいと思ったらその日で終わりだし。

エースだったら自分は違うと思う
10年いたからこそのアイコン

こうした物語のある試合は、タイトルマッチに匹敵するほどの注目を集めるでしょう。さて、会社が新体制になって1年が経ちました。1期生の立場から、今のスターダムはどのように映っていますか。

岩谷 メディアへの露出が増えた分、一般のプロレスを知らない皆さんの目にも入りやすくなってきているのかなとは思います。いろいろなところとコラボすると、そちらの方々が存在を知ってくれるし、あとはSNSの反応がすごく増えました。

ジュリア選手や朱里選手、舞華選手など外から入ってくる選手もこの1年で多く、団体として戦力強化も進んでいますが、プレイヤーとしてはどう受け取っていますか。

岩谷 もう少し、生え抜きを大事にしてほしいかな。人が増えすぎちゃって、去年は新人王がいなかったんですよ。2011年からずっとワンデートーナメントを開催して決めてきたんですけど、去年デビューしたのはレディ・Cだけだったこともあって途切れてしまった。入門テストを受けるにもハードルが上がっていて、その間に即戦力の選手がどんどん増えることで新人をイチから育てるのが難しくなってきた感はありますね。私たちもそうだったんですけど、ファンの皆さんに応援していただくことで選手が育っていく。本当に、その力ってすごいんです。それがこの1年での急激な変化だなと思いますね。自分が引退して、小川さんもいなくなったらそれは今までのスターダムとは違う団体です。

だからこそ、旗揚げから続くスターダムの匂いを自分が頑張ることで残していきたいという思いなんですね。

岩谷 それを持っているのが生え抜きだから、その価値を大事にしていかなければいけないんじゃないかって思うんですね。ヘタっぴいの時から頑張れ頑張れっていって応援してもらえたのは生え抜きの子たちだし、新しく入った選手ってユニットが違うからほぼ話さないんですよ。小さい規模の頃はみんなが家族のようで、そこが変わった点ですね。

闘う上での緊張感は、その方が保てます。

岩谷 でも自分はスターダム=家族っていう思いが強くて。小川さんというお父さんがいて…お爺ちゃんでもあるかな。みんなで創りあげていくのが私は好きだったのが、今はユニットとしてどう目立つかになっているんで、その中で同じ1期生の世志琥とやるからには、これぞスターダム!というのを見せたいです。

それは武道館以後にもつながっていくことでしょう。

岩谷 女子プロレスといったら、今でもダンプ松本さんやブル中野さんのイメージが強いと思うんです。そういう皆さんにも今の女子プロレスを知ってもらって、こんなに細くてもすごいんだ、昔よりすげえじゃん!って思ってもらえるように、一般の方に見てもらえる機会をもっと増やしたいし、選手としては今を維持するのがこれからは大変になってくると思うので、それができるよう踏ん張りたいし。この仕事をしている限りはやりたいことは尽きないと思います。

“スターダムのアイコン”と呼ばれていますが、それを維持することはベルトを防衛し続けるよりも難しいですよね。

岩谷 アイコンってすごく難しいです。エースとも違う。エースだったらベルトを巻いて、団体の顔になってというのがそうですけど、アイコンはベルトを巻いていなくても顔でなければいけない。

アイコンから逃げ出したいと思うことはないんですか。

岩谷 ないかも。エースじゃないから。エースだったら自分は違うと思うんです。赤いベルトを巻いたり、白いベルトと2冠になったこともありますけど、自分としてはエースではないんですよ。エースってされていたらそんなのよしてくれ!って思っていたかもしれない。棚橋(弘至)さんも(紫雷)イオさんも大変だなと思いましたし。10年いたからこそのアイコンだし、それは逃げ出そうとか、そういうものではないですからね。

プロレス以外で10年続けられたものってありましたか。

岩谷 柔道を6年間。週一でしたけど。

週一でもちゃんとキャリア6年ですよ。

岩谷 そんな自分でもプロレスだけはちゃんと10年続けられたのは、自分も生きていていいんだって思わせてくれたからです。それまでは生きてちゃいけないというより、生きる意味が自分でわからなかった。この先、何があるかもわからないのになんで生きているんだろうと思って引きこもって。でも今は、プロレスが楽しいからっていう明確な理由があって生きている。それを取ったら何もなくなるというのは、そういう意味です。

やめられないですね。40、50歳になっても…。

岩谷 それは引退します! ちゃんと第二の人生を見つけますので、大丈夫です。自分自身がファンだった頃のレスラー像にはちゃんとなれているんで。受け身、技、たたずまい…ちゃんとなれました。その場その場をちゃんと楽しめれば、なれるものなんですね。

【大会情報】

スターダム10周年記念~ひな祭り ALLSTAR DREAM CINDERELLA~
日程:2021年3月3日(水)FC有料会員先行入場3:45PM/開場4:00PM/開始4:30PM
会場:日本武道館
https://wwr-stardom.com/schedule/210303/