鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2020年3月号には、第72回ゲストとしてBJW認定デスマッチヘビー級王者のアブドーラ・小林選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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アブドーラ・小林(大日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

最優秀タッグ賞にノミネート
されながら0票だったから
今年は小林軍団で狙いますよ

アブドーラ・小林(大日本プロレス)

©大日本プロレス/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史

刑務所と比べたらいい飯は食えるし
住むところもあったから続けられた

源さん(アブドーラ・小林を大日本初期から知る者はこう呼ぶ)はいろんな団体に履歴書を送っているんですよね。

アブ 正直、大日本プロレスが旗揚げすると聞いた時は「小鹿かー」って思っていましたからね。これは潜り込めるんじゃないかって。リングスやみちのくプロレスにも履歴書を出していたんですけど、こっちの方が比較的入りやすいかなと、それぐらいの考えでした。

リングスに入って何をやるつもりだったんですか。アブドーラ・小林vsヴォルク・ハンやビターゼ・タリエルとかは確かに見たいですが。

アブ プロレスをやりたいというだけで、その団体に入ったらどうするとかはまったく考えていなかったです。週刊プロレスに新人募集の記事が載っている団体に片っ端から履歴書を送る感じだったんで。ちょっとビビッて新日本には出さなかったんですけど。田舎の高校生ですから、プロレスの雑誌に載っていれば大日本もリングスもプロレス団体ですよ。みちのくはちゃんと「ただいま練習生は募集しておりません」って返信が来ましたね。それ以外は返事も来ず。

みちのくでルチャをやるつもりだったんですか。

アブ いやー、募集とかしていなくても団体住所録を見て新日本、全日本以外は全部送っていましたね。そうだ、全日本の渕正信さんと面接したことがありました。高校3年になったら、みんな就職活動をするじゃないですか。俺、何もやっていなくて先生におまえは何になりたいんだ?と聞かれてプロレスラーって答えたら、いろいろとツテを伝ってくれたらしくて渕正信に会わせてやるからと。じっさいに会ったら、ジュニアヘビー級っていっても渕さん、大きいじゃないですか。体の厚みもすごかった。「えーっ、ジュニアなのにプロってこんなに大きいのかよ!」って思いましたね。その頃は入門規定で180cm以上というのがあったので「あと5cmに伸ばしたら来なさい」と言われました。

体重ならともかく、高校生の時点であと5cm伸ばせと言われても難しいですよね。

アブ ウハハハハハ、伸びるわけがないですよ。でも、アカディ牛乳を毎日飲んでいましたよ。

渕さんには後年、全日本へ参戦した時にその話をしたんですか。

アブ 逆に言えないですよね。丸山(敦)さんや(石川)修司には言ってあるから、そのへんから伝わっているかもしれないけど。要はプロレスができたらよかったんですよ。今考えると、ほかにやりたいことがなかったんですよね。チヤホヤされたいというのがあって。

人気者になりたかった。

アブ そうそう。テレビで見ていて華やかな世界だなと思ったし、地元に来て見にいった時も華やかに見えたんです、地方興行なんだけど。

どの選手のようになりたかったんですか。

アブ そこもちょっとひねくれてて、中学校の卒業文集には「馬場とブッチャーを倒す」って書いたんですよ。

アブドーラ・ザ・ブッチャーだけでなく、対戦相手のジャイアント馬場さんまで!

アブ 僕が見ていた頃はお二人とも全盛期を過ぎていたから勝てるって思ったんですよ。単純に、デカい人がすごいと思っていたから、そのすごい二人を自分が倒すと。

それが中学の時点における将来の夢とは、なかなかのものですね。

アブ 田舎の中坊なんてそんなもんですよ。何も具体的な将来なんて考えちゃいない。馬場さんがご存命の頃って、1月2日は昼が全日本で夜が大日本の後楽園というのが続いていて、一回エレベーターで二人っきりになったことがあったんです。

密室で馬場さんと二人きり!

アブ 「大日本プロレスの小林と申します」と挨拶したら、馬場さんのベルトのラインがここ(目線)に見えるんですよ。

それは盛りすぎですよ!

アブ いやいや、ホントですよ! それで「ああ、小鹿君のところか。頑張れよ」と言われて。

天下のグレート小鹿を“クン”扱いできるところが馬場さんですよね。

アブ 二人だけだったからチョー緊張しましたよ。今思うと貴重なシチュエーションなんですけど。

それでじっさいに受けたのが大日本だったと。

アブ ここの道場に初めていったら、たまたまリングを貸していてなかったんです。だから基礎体力試験だけで、当時は体重70kgぐらいでスクワット500回や腕立て伏せ300、腹筋200は難なくできた。マット運動がなくてよかった。リングがあって、マット運動をやらされたら受からなかったかもしれないです。

テストはその数をちゃんとできたんですね。

アブ できたんですよ(ドヤ顔)。

今は?

アブ 今? 今は…やろうとも思わない、ワハハハハハ! なので、できるかどうか不明。練習生として、ゼロからスタートしたのは俺だけだったんですよね。ブルーザー岡本さんは(第1次)UWFにいたし、山川(竜司)さんは最初、東京プロレスだったし、谷口(裕一)さんも桜田さん(ケンドー・ナガサキ)のところ(NOW)でデビューしていましたから。

20年前の旗揚げ戦は入門したばかりだったので試合は組まれていないんですけど、どんなことを憶えていますか。

アブ お客さんはいっぱい入っていた記憶があって、グレート小鹿の会社ってすごいんだなって思いました。メインが桜田さんだったんですけど、ウチの方はSWSの中継をやっていなかったから見たことがなかったんです。それがケンカみたいにバンバンやる試合で「テレビと違うプロレスをやっているぞ」って。全然華やかじゃない、バチバチ殴るプロレスなんだけど、すごいって思えましたよね。

それを自分でやっていけると思ったんですか。

アブ やれるやれないじゃなく、やらなきゃいけないという考えでした。だから今、ウチに入ってくるやつが「デスマッチはやりたくない」って、よく言えるなと思いますよ。

小鹿さんの印象は?

アブ 見た目が怖かったんで全日本時代、テレビにチラッと映っていた時とは印象が違いましたね。オーラが違うじゃないですか。どう見てもただ者じゃない。キャデラックを生まれて初めて見ましたからね。それで桜田さんがボッコボコな試合をやって、すごいところに来ちゃったなと。

よく逃げ出さなかったですね。

アブ 住むところがあったんで(道場上の合宿スペース)。あとは食うにも困らなかったし。俺、大食いだったんですよ。古いタイプのレスラーって大食いの若手をかわいがるじゃないですか。ナガサキさんも小鹿さんも「小林はよく食うな。どんどん食えよ」と言ってくれて。

当時の大日本の経済状況は「どんどん食え」と言えるぐらいだったんですね。

アブ あー、よくTAJIRIさんが“目玉焼き事件”のことを言っていますよね(ちゃんこ代も満足に出なくなったため、なけなしのちゃんこ銭で大量の卵を買い、目玉焼きを出して小鹿さんに現状をわかってもらおうとしたが「おー、今日は洋食か。たまにはいいな」と食うだけ食って去っていった話)。旗揚げから半年ぐらいはどんどん食えたんですよ。ナガサキさんが毎日作ってくれるんです。

新人にやらせないで自分で作るんですか。

アブ 僕らは補佐でしたね。もしかすると身銭も切ってくれていたのかもしれないですけど、相撲出身だからちゃんこが作れるんですよ。ナガサキさんが作ってくれるんだから、残すわけにはいかないじゃないですか。それでどんどん食えと。谷口さんも岡本さんも要領がいいから、練習が終わると「マラソンにいってきます」「掃除してきます」と言って道場からいなくなるんですよ。だから僕がよく補佐につかされて横で野菜とか切って「こんな怖い人と一緒に料理作っているよ…」と思いながらやっていました。

練習もナガサキさんに直接教わっていたんですか。

アブ そうです。桜田さんが来る前にスクワットや腕立ての基礎運動はやっているんですよ。そこから受け身やスパーリングをやっていただくんですけど、ある日「おまえらさ…そういえばスクワットも腕立てもやっていないよな」って言い出したんです。でも、あんたが来る前にやってんだよ!なんて言えるもんじゃない。「じゃあ、今からスクワット1000回な」となって、そういう日に限って俺らは朝から1000回やっているんですよ。一日に1000回を2セットやったあとに受け身とスパーリングが始まるという。

何もできない身でよくあのケンドー・ナガサキとスパーリングをやりましたよね。

アブ 桜田さん、全員とやってくれるんですよ。基礎運動、マット運動、ロープワーク、受け身をやったあとにスパーリングですから、もうその時点でヘトヘトになっている。そのあと最後に、締めの練習として50回投げられるというのがあったんです。スタミナを消耗した時に受け身が取れないと危ないから。でも、自分の場合は一番下っ端なんでボーナスがつく。合計100回、ただただ投げられる。そういうのも含めてすべてが「逃げるわけにはいかない」ですよ。まあ、刑務所と比べたらいい飯は食えるし、寝るところも…山川さんと二人暮らしでけっこう過ごしやすかったんです。辛くて実家に逃げ帰りたいとか、そういうことを考える前にデビューしちゃった。

“愛してま~す”は完全に
逆転するまで言い続けますよ

旗揚げから2ヵ月後にはデビューできたんですよね。

アブ バタバタしている間にデビューできた感じです。そのあとも日々のことをこなすのが精一杯で、どんなレスラーになりたいとかも考える余裕がなかったし、いい試合をやろうなんて…とにかくこの一日を無事に終えることだけでした。

そうこうしているうちにミスター・ポーゴさんや中牧昭二さんが離脱して自分たちの世代になったじゃないですか。山川竜司、シャドウWX、本間朋晃が“デスマッチ新世代”と呼ばれる中で、自分もそこに入りたい、あるいはなぜ入れないんだ?とは思わなかったんですか。

アブ 地方大会とかだと俺も普通にデスマッチやっていたんだけどな、ウハハハハハ。だけど、あの3人の中に入りたいとは思わなかったですね。やっていることは負けていないと思っていたし、MEN’Sテイオーさんや『神風』さん、松崎駿馬さんとやる方で精一杯というのもあったし。その中で当時、週刊プロレスの記事でなんの変哲もない第2試合ぐらいのタッグマッチがカラー1ページ載ったことがあったんです。当時は大日本のページも今と比べて少なくて、ほとんどメインの方のデスマッチしか載らなかった。その中で純粋に試合内容で評価されて載せてもらった。そのページを見て、自分のやっていることは間違いじゃないって励みになったんですよね。あれがストロングBJの原点ですよ。あとづけになっちゃうかもしれないけど、やっていることに無駄なことなんてないんだって。

あの3人の中に入ったらチヤホヤされたのに。

アブ いやー、あの頃はそんなことを考える余裕がなかったですもん。今はこんな感じですけど、根が真面目だったと思いますよ。目の前に出されたことをこなさなければと思っていましたから。

今は逆に余裕ありすぎですよ。

アブ 苦労したとは言いたくないけど、その時にちゃんとやっていたから今があるんですよ。

貯金ね。

アブ そう、貯金。宮本(裕向)によく言われるけど。ナガサキさんにしごかれ、ブッチャーと組んで“アブドーラ”の名もいただいて、テイオーさんたちからレスリング的な動きも吸収して。

“的”ってなんですか。レスリングと言いましょうよ。

アブ 一通りやってんですよね、ちゃんと。それなりの貯金があるから今は余裕をこいてますけど。

昨年2月にブッチャーさんが来日して再会を果たしました。

アブ 十何年ぶりでしたね。ブッチャーから「アブドーラの名前はバンバン使っていいから」とお墨付きをもらいました。あとは、こういう体型のプロレスラーって今いないじゃないですか。「そのボディーサイズを生かしたレスリングをするんだぞ」とも言われましたね。普通のことを言われて驚いたんですけど。“アブドーラ”を名乗るようになった時はオイシイって思いました。名前だけだとコミカルじゃないですか、アブドーラなのに小林だなんて。でもブッチャーと組んで名前負けしないようにとは思っていましたね…なってますよね?

少なくとも“アブドーラ”を名乗る日本人は源さんだけですよ。

アブ どんなジャンルにもいないでしょ。あのアブドーラ・ザ・ブッチャーのお墨付きをもらっている時点で名乗る人が出てきても意味が違うわけだから。正直言っちゃうと凶器シューズって邪魔なんですよ、場外乱闘とかで。

靴の先が尖っているのもブッチャーさんのオマージュですよね。でも昔、トペ・スイシーダをやった時にセカンドロープにあの先が引っかかって、リング下へ垂直落下したことがありました。

アブ ありましたねえ、ワッハハハハハ。それでもアブドーラ=凶器シューズだから続けてきたんですけど、古くなると修理しなきゃいけないじゃないですか。

あの形体で新しいものは売っていないでしょうね。

アブ 靴の職人さんも作りたがらないんですよ、あんなの普通はないから。だから、今のシューズは7年ぐらい補修しながら使っていますね。ちょうど中野にある大日本のショップの隣が靴屋さんなんです。そこに出して靴底とか先っちょを修繕してもらう。靴底を開けたら画鋲とか蛍光灯の破片がいっぱい出てきて、靴屋さんが「いったい何をやっている方なんですか!?」って驚くから隣のBJショップに連れていって蛍光灯デスマッチの映像を見せたら「大変な仕事なんですねえ」と納得したという。

シューズひとつをとってもこだわりと年季が刻まれているんですね。

アブ 最強の靴にしてくださいって言ったら、カカトの部分を-100℃の環境でも耐えられる材質にしてくれたんです。

100℃の環境なんて地球上のどこにあるんですか。しかもそこでプロレスをやることなんてないですよ。

アブ 過酷な環境で試合をやっていることをわかってくれたから、登山靴で使うような素材にしてくれたんですよ。尖っているところも補修して補修して。

一時期、大日本もシンドい時があって登坂栄児社長いわく会社の預金通帳の残高が二桁だったこともあったと。それでも続けた理由は「せっかくだから」だったそうですが。

アブ 残高二桁ということは、僕らにはまわってこないわけですけど、それでも生活できちゃいましたからね。辛かったかもしれないけどなんとかなるんだなと。それでなんとかなって、25周年もチャンピオンとして迎えられるとは思ってもみなかったです。25年前の自分の試合をビデオで見ると本当にどうしようもない。

何度となくリングネームを替えて…つまりは便利屋だったわけじゃないですか。その中で自分が団体のトップに立つ自信はあったんですか。

アブ 2、3年目の頃は思いもよらなかったです。ウチではTAJIRIさんがトントン拍子で上がっていったじゃないですか。あれを見て「こういうふうにはなれないよな」と思っていました。だから地道にやるしかなかったんでしょうね。初めてデスマッチヘビー級のベルトを獲ったのが11年目ぐらいだったんですけど、そこからですかねえ。ただ、自分がそれ以後も団体のエースになりたいとかはまるでなかったですから。エースは伊東竜二&関本大介だと思っていたし。自分はジョーカー的かなと。頂上でいたくないんだろうと思いますね、自分で。合わない。ある程度精神的にゆとりを持って動きたいっていうのがあるんで。

背負いたくない?

アブ 背負いたくないですよ。

エースになりたくないのに、パクるのはエース級の人たちばかりですよね。

アブ それは当たり前ですよ! 上をパクらないと。内藤哲也までいくと運動神経がよすぎてやりようがないけど。もっとわかりやすい…レインメーカーとかはいい技ですよね。もうね、みんな運動神経がいいからパクりにも限界が来ているって思いますよ。

パクる方の身になってやってくれと。

アブ そうそう! 俺がデスティーノやったら相手の腕の上に乗っかって違う意味で必殺技になっちゃう。クルクル回って飛べないし(スターダスト・プレスのこと)。ただねえ、パクるのって楽しいんですよ。

そりゃあ「愛してまーす!」と叫ぶだけで本家でもないのに本家のように一体化したら楽しいでしょう。

アブ でも、ちゃんと言い続けていますから。最近の棚橋さん、ちょっとメイン外れているじゃないですか。それでも俺は東京でも地方でも叫び続けていますよ。北陸のプロモーターさんが、たまたま新日本プロレスの中継を見ていたらしくて、深夜なのにその場で電話をかけてきて「小林、棚橋っていうのが“愛してます”って言っているぞ。マネされているぞ!」って言うんです。

来ましたか、逆転現象。

アブ ウチしか見ない方の中にも、そういう人がいると思いますよ。だからね、完全に逆転するように、あと20年は言い続けますよ。

逆転を狙っているんですね。

アブ 小鹿会長もいまだ現役じゃないですか。あれは「俺も今からプロレス界でトップに立ってやる」という野心を持ってやっているんですよ。トップというのは、プロレスといえば…ってなったら一番目に名前が出るという意味です。今はリングを降りていますけど猪木さんがいますし、坂口征二さんもご健在ですけど、小鹿会長は長生きすることで勝とうとしていますから。「俺の時代が来たにぃ」って。

プロレスラーは強くて当たり前
それよりも大きさを優先すべき

小鹿さんの時代が来ますかねえ。それはさておき、源さんのすごいところはこれほどのキャリアにありながら今でも体重が増やせることです。若い頃ならともかく、130kgぐらいになったところで普通は止まりますよね。どうやって増量したんですか。

アブ やっぱり生卵ですね。あれを飲むと本当に増えるんですよ。あとはウエートトレーニングはあまりやらない方がいいです。カロリーを消費してしまうから。

あまり練習はするなと。

アブ 若い頃に太れなかったのは、受け身の練習でカロリーを消費していたからだったんですよ。プロレスラーは強くて当たり前なんで。練習しないと強くなれないって言ったら、それは普通じゃないですか。

ナチュラルに強くなければならないと。

アブ そう。だからサボっているのとは違うんですよ。それよりも大きい方を優先してこそプロレスラー。だから165kgにしたんです。

食べる量はどうなんですか。

アブ 今でもすき家のメガ牛丼とかは食えますよ。正直、体調を整えてからいきますけど。特盛だったら普通に食えます。俺、43だっけ?

自分の年齢も憶えていない。

アブ 43だと思うんだけど、同年代よりは明らかに食いますよね。今は維持ですね。これ以上体重増えたらコーナー最上段から飛べなくなるから。

日常生活の中でそれほどの体重を背負っていて影響はないんですか。

アブ うん、駅だったら階段は使わないですね。和式便所も使いたくない。地方の体育館とかは洋式がないところもあるので頑張ればできるけど、試合前からスクワット1回やっているのと同じなんで。

一回のトイレがスクワット1回の練習だと。

アブ アブドーラのお墨付きをもらった人間として、何よりもこの体を維持することを優先しなければならない。テレビで俺の試合を見ていると面白いんですよ。これは自画自賛じゃなく、客観的に見ても165kgもあるデッカい人間が動いているだけで面白く映るのは当然でしょ。デブが走ってんですよ? チョー非日常じゃないですか。

健康面での弊害は出ないんですか。

アブ 一回肝炎やったじゃないですか。それからコンスタントに病院へいって検査を受けているんですけど、基本的に内臓は丈夫らしいんです。腎臓からいいインシュリンもドバドバ出ているし、心臓に関してはマラソン選手並みだと。「痩せれば42.195km走れるよ」と言われました。

痩せればね。

アブ ただ痛風はちょっとビビッてます。もしかすると痛いのに気づいていないのかもしれない。この体にするだけで体を張っているんですよ。

考えてみれば、この体で四半世紀プロレスを続けているんですよね。

アブ たぶん、今の大日本に小林洋輔が入ってきたらすぐやめていますよ、ガハハハハッ! 今、一番下っ端は佐藤孝亮になるけど、あの頃の小林洋輔なんて比べたらどうしようもないですからね。だから、周りの先輩方が長い目で見てくれたんだと思います。25年経ったら自分がどうなっているかなんて、考えたこともなかった。将来的に目指すのはグレート小鹿ですよ。やっぱり、ああいうふうになりたいし長くやりたいんで。今さら細くなることなんてできないじゃないですか。だから、現状のままあの域にまで達したいですよね。

77歳で165kg!

アブ さすがに体重は絞らないとまずいか。

その頃には現在の小鹿さんのようにタイトルマッチの認定証を読み上げているかもしれないですね、ターバンを巻きながら。

アブ それで選手の名前を間違ったりね。いや、あのアブドーラを「アドブーラ」と言い間違えたのは絶対わざとですよ。目立ちたいんですよ。そうじゃなきゃ今までで3回も間違わないですよ。字が読めないこともないじゃないですか。

読めない以前に自分のところの選手名ですからね。あと、小林軍団はどうなっていくんでしょう。

アブ あー、俺がシングルベルト獲っちゃったからなあ。

楽しそうにやっているわりにはモメごとも多いですよね、小林軍団って。

アブ 12月の横浜文体以外は、昨年一年のビッグマッチは全部「小林軍団大集合!」っていう感じで、やってて楽しかったですけど、とりあえずはそれぞれソロ活動ですね。控室は一緒だし、たまに飲みにいこうとはなっているんですけど、ドリュー・パーカーが飲みにいってもヴィーガンなんですよ。肉が食えないから面倒臭い。ヴィーガンレストランというのがあって、意識高い系の人たちが来るんですけど、そこに小林軍団でいくという。

すごい情景ですね。

アブ ウハハハハハッ! この風貌の男どもが。まあ、小林軍団はリング外も含めて継続していきます。プロレス大賞の最優秀タッグチーム賞も狙わないといけないですから。

ああ、ノミネートされながら決戦投票をしたら0票だったという。

アブ 0票って、誰がノミネートしたんだって! 最低でも候補にあげた人の1票は入るはずなのに。

候補にあげたあと我に返ったのかもしれません、やはり違うと。

アブ 候補にあげたんだったら最後まで支持しろって! やっぱ違うなって寝返ったんだろ。だから二度とそういうことがないよう、今年の選考会は小林軍団で見学にいきますよ。まあ…実績に関しては横浜ショッピングストリート6人タッグのベルトをちょっと獲っただけだったし「こいつら、楽しいだけで何も実績を残していねえな」って気づかれても仕方がないか。だから2020年は個人としてもデスマッチ王者としてやって。小林軍団としても大日本を引っかき回します。3月16日の相手は同級生の伊東なんで負けていられないし“文体は小林”って言っているんで。

「ドームは棚橋、文体は小林!」のフレーズはパッと出たんですか。

アブ 用意はしていなかったですね。用意していたら棒読みになっちゃいますよ。棚橋さんも同級生なんで、もっと頑張ってもらいたいというエールもあります。

本家に対して頑張れと!

アブ 俺は文体のメインに立つんだから、東京ドームのメインに立ってくれよと。これが25周年の俺からのメッセージです。