鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2017年8月号には、第44回ゲストとして全日本プロレス・秋山準社長が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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秋山準(全日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

他団体勢とも
細かい部分の全日本らしさを共有することで
形となった秋山ゼンニッポン流の
パッケージプロレス

秋山準(全日本プロレス)

©オールジャパン・プロレスリング/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:中原義史

社長就任時は
前向きな考え方しかなかった

―ここに来て全日本プロレスの評価が高まり、後楽園ホールも満員が続くようになりました。そうした手応えは秋山さんもつかめているのではと思われます。

秋山 SNSの反応や直接話をうかがった中で、お客様に喜んでいただけているという実感はありますね。選手のみんなが前を向いてやってきたのが一番よかったんだと思います。中でも宮原(健斗)をはじめとする若い選手が育ってきたのが大きい。ずっと僕らの世代がメインを張っているようではこうはなっていなかったでしょうね。それによって新しい全日本プロレスを見せられていると思いますし。

―2014年7月に代表取締役社長へ就任した時点で、自分ではなく若い人間を中心にということは考えていたんですか。

秋山 そうですね、僕らはジャイアント馬場さんに教えられてここまで来たわけですけど、馬場さんを知らない世代の選手やお客さんが増えてきた。その中で王道、王道といってもうまくいかないんじゃないかというのはあの時点で考えていました。

―そう思えたところが、ひとつ大きいですよね。それまでの価値や重みがあると囚われがちになってしまいます。

秋山 前の体制の時は、やはり馬場さんの全日本を取り戻したいというのがあったんですけど、僕はちょっと違ったんです。それがあって意思の疎通ができていなかった部分もあったし。自分がやるとなった時は新しいことをやっていかなければと…まあ、それは僕じゃなくて若い人たちが頑張ってくれているんだけどね。

―当初思い描いていたのと比べて3年でここまで再生できたのは描いていた通りですか。それとも、もっとかかると思っていましたか。

秋山 そこはどれぐらいかかるかなんていうのは考えなくて、スタートの時点で「こういう選手がいるのになんでもっと生かせないんだろうな」というように見ていたんで、前向きな考え方しかなかったですね。これぐらいのメンツがいるならいけるだろう、まだ育ってはいないけどそうなるまで自分たちが支えれば…と思っていました。その中でジェイク(リー)たちの世代の成長が速かった。それが、全日本がよくなってきたことに大きく影響していると思います。

―前体制のネガティヴなイメージを背負ってのスタートだったので、大変だったのではと思われます。

秋山 そんなに苦労は感じていないですけどね。分裂した時は大丈夫かなとは思いましたけど、一瞬だけで。

―社長になって内部の状況がすべて見えた時、こんなにも大変なことになっているのかとは思わなかったですか。

秋山 いや、思いましたよ。

―その中で放り出したくなることはなかったんですか。

秋山 放り出したら終わりなんで。やれるところまでやるしかないと思いました。逃げられないですもん、代表取締役ですから。就任した時に「心中するつもりでやります」と言ったのはそういうことです。でも、全然終わるとは思わなかった。最初に数字を見た時はうわーっ、マジかよ!って思いましたけど、そこだけでネガティヴな考えにはならなかったですね。あとは、そんなガタガタの全日本プロレスを助けてくれたスポンサーさんがいたんで、それは本当に助かりました。そんなガタガタなところを助けてもいいことないはずなのに…もう、思い入れ以外の何ものでもないんで、そういう方々の気持ちを裏切っちゃいけないって思いました。

―所属選手の成長とともに他団体からの参戦選手、フリー参戦選手が活躍できる場としての評価が全日本のカラーになっています。

秋山 実力さえあれば、そこは所属と分け隔てなく上の方(のカード)へ組むようにしています。リング上に関しては所属選手も他団体の選手も関係ないというのが僕の考えです。そうした中で石川修司選手が「チャンピオン・カーニバル」に優勝して、三冠ヘビー級のベルトも奪取した。本来ならば流出したから獲り返せとなるところなんでしょうけど、もともと僕は外の人間が獲ることを悪いとは見ないんで。それによってどうやって獲り返すのかを所属の選手が考えてやればいいというスタンスなんです。

―ましてや石川選手の場合、全日本のファンにも受け入れられました。

秋山 流出という感じがまったくなかった。そういう選手が現れるのも面白いなって。もともと石川選手はジャンボ鶴田さんが好きで、全日本プロレスにあこがれていたというのをファンの皆さんも知っているんで、違和感がなかったんでしょうね。あれが「俺はアントニオ猪木が好きだ」という人間が獲っていたらまったく違う受け取り方になっていたかもしれない。でも、そういう選手が獲ってもいいと思うんですよ。そこからまた面白くなる目はあるわけだし。

―全日本の頂点に立った石川修司というプロレスラーはどのように映っていますか。

秋山 しっかり動けるのと、頭がスマートなところ。僕らがバリバリにやっていた時代とそん色ないですよ。あの大きさであそこまで動ける日本人はいないし。彼が前の団体(ユニオンプロレス)にいた頃から、全日本を主戦場にしてもらいたいなと思っていました。

―チャンピオン・カーニバルにも他団体選手が多数エントリーされたり、KAIENTAI DOJOの真霜拳號選手とフリーのKAI選手のコンビが世界タッグ王座を奪取したりと石川選手以外の他団体勢も活躍しています。これらの選手は秋山さんが自分の目で見てから参戦させているんですか。

秋山 まずは自分で見て、そこから全日本に合うから継続参戦してほしいと思った選手はさらに深く見るようにしています。

―その“合う”というのはどこがポイントになるんですか。

秋山 リズムですね。あまりガタガタしていない。そこはしっかり受け身をとっているかどうかがひとつの基準になるんですけど。

―受け身のとり方ひとつによってリズムも変わってきます。

秋山 石川選手もそうなんですけど、多少の修正はするんですよ。教えられ方によって、受け身のとり方も違ってくる。たとえばその選手がメキシコ出身の人に教えられていたら、メキシコの受け身をとる。向こうはリングがすごく硬いからフラットに受け身をとらない。でも、ちょっと教えることでバーン!といい音が鳴って迫力も伝わる。そちらの方が全日本のリズムなんですよね。あとはロープの飛び方も教わった人によって違う。石川選手は大きいのに、ちっちゃくまとまるように飛んでいた。教えていた人が小さかったのかどうかはわからないけど、それをもっとデッカく飛んでみなとアドバイスする。それが、僕らが馬場さんから教わったロープの飛び方なんで。

―大きさが伝わるロープワークというのがあるんですね。

秋山 せっかく大きな体をしているのに、それが生かせていないのはもったいないじゃないですか。だから継続参戦してもらう中で、より持ち味が発揮できるよう見ています。

―DDTの入江茂弘選手や高尾蒼馬選手に聞いたことがあるんですが、全日本では試合を終えたあとに秋山さん、大森隆男さん、あるいは和田京平レフェリーといったあの頃の全日本を知っている皆さんが所属選手へするかのように細かいところまでアドバイスしてくれる。それがすごく実になっていると喜んでいたんです。そういうのがあるから、全日本に上がることでやり甲斐を見いだせているんだなと。

秋山 やっぱり全体でレベルアップしていかないと。聞きに来た人には教えています。でも、だいたい来ますよね。

―そうでしょうね。細かい部分なので日々の試合の中では伝わりづらいものですが、そういうのがあってこその現在の全日本プロレスなんだなと思います。

秋山 でもそこは、評価が欲しくて教えている感覚じゃないんですよね。レベルアップした結果、それが面白ければ評価が上がるというだけで。

―今後も、全日本に合っていると思える選手へのアンテナは張っていく考えですか。

秋山 じつは、あまり他団体の選手は知らないんですよ。だからそういうのを見ている人間から聞いて、一度リングへ上げてみる。ヘビー級であれば自分が対戦して肌を合わせますし、ジュニアだったら青木(篤志)にどうなんだ?と聞くし。それでよかったら参戦してもらうという感じですね。

―名古屋のローカル団体であるスポルティーバ・エンターテイメント所属だった岩本煌史選手をスカウトしたのも画期的でした。

秋山 地方大会では地元で活動している選手をリングに上げることがあるんですけど、それは地元の選手をヨイショするためでなく、その選手を見てみたいからなんです。その中で、今はまだできていないけど、ここをこうすればグンとよくなるっていう選手がいる。岩本がそうでしたよね。彼は受け身をとってからの立ち方がきれいだったんですよ。あと、最初に来た時、マット運動をさせたんですけどそれもきれいに回っていた。マット運動がしっかりできる人間は、だいたいそれ以外もしっかりできるんです。

―それは単純に運動神経がいいということですか。

秋山 運動神経と、あと体の柔らかさですね。柔らかくないとクルクル回れないですから。前転後転を見ればだいたいわかります。

―話を聞いていると、やはり団体全体を見る立場になったことでプレイヤー・秋山準としてよりも、自分以外の選手にかけるモチベーションの方が高いんだなと思います。発掘する楽しみ、育てる楽しみといいますか。

秋山 あー、どちらかというとそっちの方が比重は大きいですね。若い頃の自分だったら考えられないですよね。責任を持つというのがどういうものかもわからなかったし。ただ、リングに一歩入っちゃうと若い者にまだ負けたくないという気持ちに変わります。じっさいは体力も若いやつらの方があると思うけど、気持ちとしては「おまえら、俺にどうやって勝つんだよ」というのが今でもある。それがなくなったら…リングに上がることはないと思います。

25年やってきて
大森がいてくれてよかった

―現在、GAORA TV王座を保持していて、ニュートラルなカラーのベルトだからこその楽しみ方を打ち出している印象がうかがえます。

秋山 あのベルトはほかのタイトルとは違ったことができると思うし、何も考えずにやっていたらほかと被ってしまうものなので、いろいろやってみたいなと。

―プロレスリング・ノア時代にグローバル・ハードコア・クラウン王座を提唱した秋山さんらしいアプローチだと思います。5月の後楽園で長井満也選手と防衛戦をおこなった時の秋山さんのノリが尋常じゃなかった。「負けたらダークナイトメア(長井率いるユニット)からスイートナイトドリームに変えろ」と条件を突きつけて「SWEET NIGHT DREAM」と入ったタオルを開いて入場してきました。しかもそこには猫ヒゲを生やした長井選手の顔までプリントされていたという。

秋山 あれ、高かったですよ。1万いくらしましたもん。

―やはり特注だったんですね。

秋山 一点モノですから。やるんだったら徹底的にやってお客さんに喜んでもらいたいですからね。まあ、あれもあとでファンクラブの方へプレゼントとして提供しますし。ベルトのカラーが「ファンの人に喜んでもらえるベルト」ってなればいいじゃないですか。これからはああいうプロレス中心でいきますよ。

―秋山さんほどのプロレスラーがそういうポジションを担っているからこそ、他の選手のスタイルが際立つという部分もあります。それこそ第1試合からメインまでがパッケージ化されているのが現在の全日本です。

秋山 僕が全日本に入った頃、第3試合ぐらいでファミリー軍団vs悪役商会があったんですけど、あそこからセミファイナル、メインイベントに向かってどんどん上がっていくあの流れが僕は好きだったんです。まあ、僕はまだファミリー軍団という感じじゃないですけど、渕(正信)さんにあの役割をしっかりやってもらえたら興行の流れに緩急がつけられていいと思うんです。

―緊張と緩和ですね。

秋山 スタートから最後まで肩に力が入るような試合が続いたらお客さんも疲れてしまう。それは昔から思っていました。僕はファミリー軍団vs悪役商会の試合をわりとよく見ていたんです。お客さんは年に1、2回見る形で楽しんでいますけど、僕らはあれを毎日のように見るわけじゃないですか。でも、毎日見てても笑っているんですよ。

―選手の方々もですか。

秋山 そう。同じことをやっているように見えて実は少しずつ動きを変えていたり、違うことをやったりしてくる。これはプロレスの醍醐味、面白さが全部入っているなと思って見ていました。お客さんとの呼吸というか、受け答えを見ていてもうまいなーと思っていたし。もちろん四天王プロレスも勉強になりましたけど、ファミリー軍団vs悪役商会も非常に勉強になりました。

―秋山準を形成するにあたって、四天王プロレスだけでなくファミ軍vs悪役がそれほど影響を与えていたとは…。

秋山 それが今、こうして社長になって役に立っているんですからね。渕さんに「早くおまえが悪役商会をやればいいんだよ」って言われるんですけど、そこはもうちょっと待ってくださいと答えています。この前の北海道巡業でも、どこへいっても渕さんが出るとお客さんが和むんですよ。そのあと後半に若い選手が出てくると興奮して声援を送っている。まさに緩急ですよね。こういう形がプロレスの興行だよなあって思いながら見ていました。

―渕さんといえば今回の北海道連戦は毎日のようにシングルマッチが組まれていましたよね。ウルティモ・ドラゴン選手との三番勝負だけでなく菊地毅選手や佐藤光留選手との一騎打ちまで組まれ、それに加えてアジアタッグの防衛戦も…巷では会社の陰謀ではないかと言われています。

秋山 前に渕さんへ言ったことがあったんですよ。「渕さん、そろそろ『渕正信試練の七番勝負』はどうですか?」って。普通、七番勝負とかは若手が成長するためにやるじゃないですか。それを引退間近のおっさんがやったら、本当の試練ですからね。そして最終戦で三冠王者が出てきたらこれ以上の試練はないでしょう。

―それに匹敵するものが今回の北海道遠征にはありましたよ。渕さん、大丈夫だったんですか。

秋山 いやー、そこは渕さんですからうまくサバいていました。そのうち、本当の試練を与えないと。

―楽しみにしています。あと、今回の北海道遠征は行く先々でタイトルマッチや普段は組まれないシングルマッチがラインナップされていました。これも地方のファンにとって嬉しいことだったと思います。

秋山 そこは会社として、こうしていこうというのがあっての試みでしたね。今回はシリーズのほとんどが北海道だったので北海道に集中しましたけど、今後は他の地区をまわっても極力そういうカードを組んでいきたい。社長になった時点で、とにかく毎回の後楽園を満員にしていこうとみんなに呼びかけ目標にしてやってきたんですけど、それができるようになって1年ぐらいしたら、地方に波及すると見ているんです。だからその前に種まきというか、将来的な地方の活性化も見据えたカードですよね。

―後楽園の満員といえば4月のチャンピオン・カーニバル開幕戦から3ヵ月連続(取材時点)で盛況となっています。

秋山 やっぱり満員になればマスコミもとりあげてくれるし、ファンの皆さんも「あそこまで落ち込んだ全日本がここまでになった」ってつぶやいてくれる。その一つひとつが僕らにとっての力になります。だから基本的な姿勢はこれからも変わらないです。その上で若手がより成長すること…青柳(優馬)も野村(直矢)も、ジェイクだってもう宮原の前に立たなければいけない立場だと思うし。

―8月27日の両国国技館は創立45周年記念大会として開催されます。現在形の全日本に加えて歴史を感じられるような試みも考えていますか。

秋山 そうですね、ゆかりのある選手に出てもらいたいとは思っています。ただ、最後に出てくるのが昔の人間ではいけないので、現在と未来を見せられる選手がメインを張ることになると思います。

―三冠のベルトは石川選手が保持していますが、やはり現・全日本とイコールで結ばれる存在といったら宮原選手ですよね。

秋山 石川選手に獲られるまで1年3ヵ月以上もベルトを守り続けた中で、本当にいいオーラをまとう選手になったなと思います。会社として見ても、やっていることは完全にエースとしてのふるまいだという認識もしていますし、彼の行動を見て他の若い選手が感化されている部分もあると思うので、影響力もエースらしいなと思います。

―そのエースというポジションも会社にあてがわれたのではなく、自力で形にしたものですからね。

秋山 リング上だけではないんですよ。細かいプロモーション活動とかも率先してやってくれている。そこも含めてのエースだということを理解できている。メインで30分近く闘ってヘトヘトになっていてもマイクで締めて、そのあとリングサイドの四方をまわってファンサービスをやっていますけど、あれも会社側がやれといって始めたわけじゃないですから。彼が自発的にやり続けてきたのが少しずつ定着していって、それでほかの選手もファンの方の目線にまで近づいていくようになったんです。ゼウスもいい笑顔でチビっ子の頭を撫でたりしてくれている。

―秋山さんが業界に入ってきた頃は、まだ「プロレスラーはファンに対して馴れ馴れしくしてはならない。遠いところにいるからスターとしてあこがれの対象になるんだ」という考えが強かったですよね。

秋山 ほかのスポーツもファンとの距離を近くしてサービスに努めているのにプロレスだけが違うなんて、そんなわけがない。僕は馬場さんから「リングを降りたらプロレスラーは紳士たれ」と教わったんで、そこは受け継いでいかなければと思います。

―夏の両国ビッグマッチのあとは、10月21日に横浜文化体育館で大森選手とともにデビュー25周年記念大会もおこなわれます。これまでの経緯を思えば、大森さんと25周年を迎えられるというのは感慨深いと思われます。

秋山 そうですよね、同期で入って一度は離れてまた一緒になって…大森が25年やっててくれて本当によかったと思います。25年もやって、そこに同期がいなくて一人だけだったらまた違っていたでしょう。まあ、大森とも話したんですけど今年は2人で世界タッグを獲って意地を張ろうと。この前、北海道で挑戦して獲れなかったですけど、しつこくいくかって話しているので、横浜までに獲りたいですね。