鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2022年3月号では、第94回ゲストとして全日本プロレスの“進撃の大巨人”こと石川修司選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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石川修司(全日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

進撃の大巨人、
とめどなく溢れる
全日本愛を語る

石川修司(全日本プロレス)

宮原健斗vsジェイク・リーと
違う景色があってもいい

今号が発売されるのは宮原健斗vsアブドーラ・小林戦の翌日で、もしかすると小林選手が三冠ヘビー級チャンピオンになっているかもしれません。

石川 一番ダメなパターンですね。なっちゃいけない。大日本で一緒に闘っていましたけど、リング上でこれがすごい!というのは一切ないんですけど、人間力だけはヘタしたらどのレスラーよりも高いんじゃないかと。あと、マイクとかのカッコつけぶりは全団体の選手を集めても上にいくんじゃないかというぐらい、謎の説得力もあるんで。

全日本プロレスにもあそこまでの人はなかなかいないと。

石川 いないんじゃないですかね。ただ、戦闘能力的には著しく低い。

なのになぜ挑戦できるんですか。

石川 たぶん、ファンの人も騙されているんですよ。アブドーラ・小林の心をつかむマイクや場の持っていき方に。それもプロレスラーには必要な能力であって、そこだけは秀でていますからね。ただ、運動能力としては一般人より下だと僕は思っています。昔、ケンドー・ナガサキさんに鍛えられた時の貯金だけでやっているような人なので。

本人も貯金だと言ってはいますが、そんな何度も身体能力的なことを…それはともかく、ああいうカラーの選手も許容できる懐の深さが今の全日本にはあると思います。王道を掲げつつも、一方ではニュートラルにいけるという。

石川 そうですよね。僕も四天王プロレス時代は見ていましたけど、そこから過去にさかのぼるとアブドーラ・ザ・ブッチャーやザ・シークのようなタイプもいたわけで、小林さんはそこに目をつけた。怪しい外国人もいましたし。

“とんだいっぱい食わせ物”のような、いわゆるB級の味がよかったんですよね。

石川 そうそう、スター選手ではない人もいて、一辺倒にならなかったから面白かったんですよね。ただ、小林さんに勝たれるのは困るので、まあ宮原健斗は好きじゃないですけど今回ばかりは勝ってもらわないと。

ファン時代から見ていてあこがれだった全日本プロレスの創立50周年イヤーに自分が所属していることを、客観的にどう受け止めていますか。

石川 このタイミングでいられることの運命を感じますし、同時に責任感もあります。今、所属しているメンバーが50周年というのをどう解釈した上で闘っていくかによって、それ以後の全日本プロレスが変わっていくと思うので、大事な一年となるのは言うまでもないんですけど、その意識を所属の選手たちがどれぐらい持っているかという点では、クエスチョン。持ってほしいなとは思っていますけど。

ジェイク・リー選手は去年の段階で積極的に“50周年”を口にしていましたね。

石川 ジェイクだけでなく、各選手が思ってくれないと。昔の話をしてもアレですけど、同じ50周年を迎える新日本プロレスと全日本は並んでいたわけじゃないですか。そこまでいけるという可能性を提示しないといけないし、このタイミングで見せられなかったら、もう近づけないんじゃないかというふうに思われてしまうかもしれない。だからこその責任感だし、プレッシャーもあります。

そこは全日本の50周年にいられる!という喜びではないんですね。

石川 喜びは50周年を成功させた時に味わえるんじゃないですか。結果的に2022年という一年で変わらなかったら、僕も喜びなんて味わえないと思います。

それでも最初からいたわけではないのに、半世紀の歴史を積み重ねたタイミングで好きだった団体のリングに上がっているというのは特別なことでしょう。

石川 それは理解しているんですけど、今は責任感の重さの方が上回っているんで。ジャンボ鶴田さんにあこがれてプロレスが好きになった僕のやるべきことは、今のプロレスから失われつつある大きいプロレスラーのぶつかり合い。それこそが全日本ならではの特長なので、それを伝えられる闘い。そこはこの50周年も変わらないです。

全日本プロレスとイコールで結ばれる闘い。

石川 それがほかの団体との違いだし、大きい選手はいる方ですけどその中でも僕はデカいんで、やるべきことは明らかですよね。去年あたりから宮原健斗に続いてジェイクが出てきて青柳優馬が出てきて…と、新しい躍動は感じていますし、じっさい闘ってもその力を感じていますけど、かといって自分が下がる気持ちはないので。

2020年までは諏訪魔選手との暴走大巨人を中心にやってきましたが、2021年はそれに一区切りをつけたことで違った方向性で進みました。

石川 GAORA TVのタイトルマッチで葛西純選手とデスマッチをやったり、宮本裕向や関本大介ともやったりして僕なりの闘いをしてきたつもりだったんですけど、それが全日本全体の話になったかというとそこまではいかなくて、そこは自分の力の足りなさを感じた部分でした。もっと全日本の勢いをつけるほどの闘いにしなければならなかったのに…。

マニアは飛びつきましたが。

石川 その上で、今でいうところのバズる、ハネるというものを提供していきたくて。じゃあ、何ができるのかというのを模索してきた感じですね。

三冠とは違う流れを作ろうとしたと。

石川 そうですね、そして三冠に近いところまであのベルトを持っていきたいという思いがあったんですけど、じゃあ全日本のファン以外のところまで届いたかというと弱かった。その意味でちゃんと伝わったのは、やはり葛西さんとやったデスマッチだけで、それを持続できなかったのは自分の力が足りないということ。それがわかった上で今年は「50周年なんで」という理由づけこみで三冠のベルトを狙わなければと。過去に1度巻いていますけど、あの時はフリーだったので所属として獲るのはまた意味合いが違ってくると思うんです。

2017年5月21日ですから、もう4年以上も前になるんですね。

石川 ましてや日本武道館も決まっているんで(9月18日)。武道館で三冠戦というのは今の全日本の選手にとって一番輝ける舞台だけにみんなが狙っているはずですし。

日本武道館のメインに立つための通行手形という意味合いが今年の三冠戦線にはあります。

石川 その中で、どのタイミングで戻れるかはわからないけどジェイクはいろんなものを変えようとしていますよね。宮原健斗という確立された存在に対し、それとは違う部分で全日本の風景を変えようとしている。その関係性を、ほかの選手が指をくわえて見ているだけで置いていかれる…そういうわけにはいかないので、僕はそれを覆すことをやらなければならない。宮原健斗vsジェイク・リーと違う景色があってもいいんじゃないかって思うし。

お婆ちゃんの影響で
J・鶴田さんのファンに

2つの確立された世界観を自分の世界観に変えるというのは、けっこうなハードルでは?

石川 この間の王座決定トーナメントに勝って、ベルトを巻いた宮原を久々に見て思ったのは多幸感を与えているなーだったんです。それを壊すのって、勇気がいるよなって。若かったら勢いだけでガーッといけるんですけど、四十過ぎるとそこに思い切りが必要になっちゃう。でも、全日本らしさというのを一番体現できているのは僕か諏訪魔さんだと思っていて、それを失っちゃうとどこかしらほかに似ているだけの団体になっちゃうんで。自分が見てきたプロレス、自分が好きだったプロレスを体現してお客さんに見てもらいたい。それにはベルトという象徴が必要だと思うので。

ベルトを巻いている選手のプロレスこそが、全日本プロレスとイコールで結ばれる。

石川 先ほど今の全日本はアブドーラ・小林まで許容しているっていう話になりましたけど、変わることは絶対に必要です。ただ、変わっちゃいけないもの、失っちゃいけないものもある。僕のやるべきことがそっちということですよね。

それを生え抜きではない選手が担うというところが面白いなと思うんです。

石川 それを言ったら宮原健斗も生え抜きじゃないでしょう。でも、石川修司という人間の根っこにはありますから。僕が住んでいたところは新日本プロレスの中継が映らなくて、お婆ちゃんが全日本を見ていたんです。僕、すごくお婆ちゃんっ子だったんですけど、そのお婆ちゃんが鶴田さん好きで、それで僕も自然と鶴田さんのファンになったんです。

お婆ちゃんの影響だったんですね。もしもお婆ちゃんがグレート小鹿ファンだったら、小鹿さんのファンになっていたのかも。

石川 あーっ、小鹿さんはテレビに映らなかったので、それはないですね。だから、プロレスっていったら全日本しかないと思っていたというか、そもそも日本に複数の団体があるという知識も発想もなくて。修学旅行で仙台へいった時、夜中に映っていたのが見たことがないプロレスラーばかりだったので、それが初めて見た新日本だったんだと思います。

高校時代の先輩・佐々木貴選手(プロレスリングFREEDOMS)は200mほど離れた“隣”の家にいくと新日本中継が映ったので、それを見るためだけにお邪魔して見ていたそうです。

石川 僕の住んでいる付近はダメでしたね。それで中学の時に全日本中継もやらなくなって、一度そこで僕の中からプロレスは消えたんです。それまで見ていてすごいとは思っていても、将来なりたいという対象ではなかった。それで高校の柔道部で佐々木貴さんと、僕と同級生の一人が二大プロレスファン巨頭で。その同級生は大仁田厚さんの聖水を浴びて喜ぶような濃いやつだったんですけど、その2人が週刊プロレスと週刊ゴングを毎週僕らに見せて洗脳するんです。あともう一人、違う同級生の子が三沢光晴さんの大ファンで全日本中継を全部録画して、家へ遊びにいくと見せてくれてそれでプロレス熱が再燃したという。

四天王プロレスによって、再びプロレスって面白いなとなったと。

石川 そうなりますね。お婆ちゃんと見ていた頃はジャパンプロレス勢が上がっている頃で、鶴田さんと天龍(源一郎)さんが長州(力)さんと毎週闘っていた時代。それほどの方々が集まっていたのに、ハッキリとした記憶として残っているのは鶴田さんだけなんですよね。

プロレスラーになりたいと思った時も全日本というのは浮かんでこなかったでしょう。

石川 まったくなかったです。プロレスができればいいというぐらいにしか思っていなかったので。

その時点で会社勤めをしていて、年齢も26歳ということで大きな団体は無理だと思っていたところ、DDTに所属していた頃の佐々木選手が載っている週プロを見て選んだんですよね。

石川 そういう感じだったから、全日本は別世界のようなものでした。初めて呼ばれて後楽園(2015年1月3日、高熱を出した石井慧介の代役として出場)にいった時は、自分の気持ちの中でも普段とは違う雰囲気でしたね。僕より前に石井や高尾(蒼馬)、入江(茂弘)が上がっていて羨ましいな、俺も上がりたいなとは思っていたんですけど。

それは言わなかったんですか。

石川 言わなかったですね。声かかんないなーと思っていたらかかって「やったーっ!」と思っていったら、あこがれがあっただけにすごく緊張しました。(リングサイドの)鉄サクがあるじゃないですか。あれが違いを感じさせたんです。

ああ、よく言われる話ですよね。鉄サクのある団体は老舗、メジャーという。

石川 それは初めて上がった人ならみんな感じると思います。鉄サクのない団体から始めた人は、あれで「おおっ!」となる。

G・馬場と高木三四郎の
遺伝子を受け継ぐ男

ずっと全日本でやっていきたいと思ったのはどの段階だったんでしょうか。

石川 ユニオンが解散した時点ではまだポツポツと上がるぐらいだったんですけど、曙さんや秋山(準)さん、諏訪魔さんとは当たっていて、こういう大きい人たちがいる環境でやれたら面白いなというか、ユニオンでは自分一人が大きかったし、大日本には関本大介、岡林裕二はいましたけどもっと違うところでデカい選手とやれる環境があればいいなとは思っていましたよね。そのあたりになるのかな。

ひとつの大きな決断は、DDTに入る前から続けていた会社をやめたことでした。プロレスに骨を埋めることを選択したわけですが。

石川 いつかは決断する時が来るとは思っていましたね。学校を卒業して最初に就職したところだったし、10年以上お世話になった会社だったんですけど…もう一度そこに戻ったとしても同じ決断をしていたと思います。

あのう、DDT、ユニオンと上がる間、ずっと兼業を続けながらバレないものだったんですか。

石川 あっ、バレなかったですね。一緒に管理的な業務をしている人がいて、その人には伝えて我がままを聞いてもらっていました。

その方が上にチクらなかったんですね。

石川 やめる時も仲間にはプロレスに比重を置きたいと言ったと思うんですけど、会社には「一身上の都合」で通しました。

その後、全日本に上がっている姿を発見したら驚いたでしょうね。

石川 大日本でデスマッチをやっていた頃は、傷だらけで血が止まらないまま翌日会社にいって。その頃から、両方は無理だなと限界を感じていたんです。血がわからないよう、Tシャツ3枚着て出社していたような状況でしたから。

全日本へレギュラーで上がるようになってからは、自分の中で変わったことはありましたか。

石川 周りが大きい人ばかりという環境になったことで特に変えたことはなかったですけどそこは見て覚えたし、秋山さんにはロープワークやデカい選手の大きく見せるやり方を教わりました。大きい人でなければ、大きさを生かした教え方っていうのはできないんだと思います。全日本はジャイアント馬場さんの教えですけど、インディー系はもとをたどるとユニバーサルプロレスになると思うんですよね。僕はDDTに入った頃、MIKAMIさんに教わったんですけど、MIKAMIさんもユニバーサル系ですよね。

みちのくプロレスの練習生でしたから、そうなりますね。

石川 それは馬場さんが教えた大きい選手のプロレスとは異なるDNAじゃないですか。だから、そこは初めて体験することとして学べましたよね。

馬場さんの遺伝子がしっかりと流れているんですね。

石川 ファンの頃にあこがれていた団体の遺伝子…受け継いでいるかどうかはともかく、そこはありがたいですし、だからこそ自分がやるべきはそういうプロレスなんだっていう思いも強いです。三冠奪取から4年経って思い返すと、あの時はチャンピオン・カーニバル優勝から勢いで獲って、それこそ夢がかなったという気持ちに尽きて、それゆえにそこからのビジョンを見せられないまま終わってしまったなというのがあって。

初戴冠は、それ自体がゴールとなってしまって防衛する方が難しいとはよく言われます。

石川 そういうつもりではなかったけど、結果的にその通りになってしまったのが心残りでした。いっぱいいっぱいだっただろうし、マインドが追いつかなかったんでしょうね。

チャンピオン・カーニバル優勝、三冠奪取以外で全日本所属になってよかったと思ったことは?

石川 それはいろいろな地方の街にいって、試合ができたことです。それこそが一番のプロレスラーという仕事の醍醐味というか。北海道巡業だと半月以上も聞いたことがないような小さな街を回って、その土地の方々と交流をする。そういうのは全日本じゃなければ味わえないことだよなあって。

巡業形態を維持している団体でなければ味わえないですよね。

石川 バスに乗って一座として延々と旅することを経験して、プロレスって楽しいなって思えました。それも会社をやめた理由の一つです。これを思いっきり味わいたい、でも兼業でやっていたら巡業には出られない。ということは試合に出ていない分、ベルトが狙えるチャンスが巡ってこないので…今、話していて思い出しました。現状に慣れている部分もあったので、そういう気持ちも大事にしていかないとなって。

諏訪魔選手との出逢いも大きかったと思われます(ユニオン時代に対戦してみたい他団体選手として名をあげていた)。

石川 ザ・全日本ですよね。諏訪魔さんが残ったからこうして全日本が残っているわけだし、節々から全日本愛を一番感じる人だなと思います。その重みは、自分には築けないものじゃないですか。僕はDDT→ユニオン→フリーと来たのに対し、諏訪魔さんははじめから全日本であって、そのすごみや深みは自分には絶対に出せない。

あの距離感で諏訪魔選手と関係性を築けたのは石川選手ぐらいですよ。

石川 ハハハ、そうですか。今って、プロレス業界も普通の人が増えたじゃないですか。普通が悪いって言っているんじゃないけど、諏訪魔さんのような人がいると面白い。いいサジ加減で普通じゃないところがあるのは羨ましい。今の世の中に適合しつつ、普通じゃない部分もあるのが絶妙だと思います。

全日本50周年と同じ年に、古巣のDDTも25周年と四半世紀を迎えます。

石川 高木三四郎という人の器のデカさを実感しますよね。すごくちっちゃなことで怒ったりもするので小さく見えることもあるかもしれないけど「三四郎商店」とかいって自分でTシャツを売っていた人が、秋山さんや武藤(敬司)さんのような方がいる団体の社長をやっているんですから。それほどのレジェンドの方を引き寄せるものがあるんだと思います。本当にドリームですよね、club ATOMのような小さいところでやっていたのが。今でもDDTマインドになる時があるんです。何か面白いことをやってみたいという発想が湧いてくる。

ジャイアント馬場の遺伝子と高木三四郎の遺伝子を受け継ぐ男というのもすごいですよ。

石川 DDT25周年の両国国技館の翌日がウチの大田区なんですよね。

そして5月31日にはジャンボ鶴田さんの二十三回忌追善興行も開催されます。まだ出場選手は発表されていないですが、全日本に所属している間にこうした大会がおこなわれるというのも…。

石川 そうですよね。このインタビューを通じて自分も出たいという思いを伝えさせていただきます。