鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2019年11月号には、第69回ゲストとして現役最年長最古参プロレスラーのグレート小鹿選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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※鈴木健.txt氏 twitter:@yaroutxt facebook:facebook.com/Kensuzukitxt

グレート小鹿(大日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

20年前、誰がプ女子なんて想像した?
だから僕らも時代に合わせて頭の中を
変えていかなければならないんだよ

グレート小鹿(大日本プロレス)

©大日本プロレス/FIGHTING TV サムライ/カメラマン:言美歩

若手時代、スクワットをする
関本大介の姿に涙し今がある

11月4日に大日本プロレスは5度目となる両国国技館大会を開催します。旗揚げ当初のことを思えば小鹿さんも力士時代にゆかりのある国技館で、定期的に開催できるようになるとは想像もしていなかったのではないでしょうか。

小鹿 そうだねえ。僕から登坂栄児社長に代が替わって、それ以後に入った選手や社員のみんなのものすごい努力は、ソロバンでは弾けないぐらいのものがあったと思う。僕は朝起きたら会長になっていただけだから。ほんで会長って何やるの?ってぐらいのもんだったから、僕が創立はしたもののビルでいったらコンクリートの型をとって仕上げまでには入っていなかったと思うよ。

でも、土台を築かれていなかったら今の大日本プロレスはありません。

小鹿 その土台も登坂と一緒に作ったものだから。なんていうかな、彼の懐の深さだよな。俺も無茶なことを言ったけど登坂も無茶なことを言った。それをお互いに飲み込める部分が理屈に合っていたってこった。突拍子もない理屈に合わない話をお互いがしていたら、今の大日本プロレスはないですよ。登坂は瞬間湯沸かし器だから、カッとなった時に「バカヤロ、おまえいいトシこいて!」ってこっちが言うと「すいません」と言える素直な気持ち? それは尊いと思った。

そうやりとりがあったんですね。

小鹿 しょっちゅうですよ。登坂がカッとなる方だから、こっちの方が年の功ってやつかな、いっつも冷静ですよ。

旗揚げ以来24年以上も続くタッグチームですもんね。

小鹿 リング上では組んだことないけどな、ウワッハッハッ! トシをとると人間も大らかになってくるということだな。彼もどこまで大らかになれば、選手や社員がついてくるかをどこかの時期に見極めたんだと思うよ。

小鹿さんも24年前と比べたら大らかになったんですか。

小鹿 人には言われないけど、俺は昔から聞く耳を持っている人間からさ。何か言って来てもウルセー!って突っぱねるんじゃなく、話してみろよと。だから登坂と話をして「それはダメだ!」と拒否したことは一度もないよ。

一度も!

小鹿 一応聞いた上で違うと思ったら、それは違うよと言う。あの頃は一年の2/3は営業で地方をまわっていたから、登坂もほったて小屋のような事務所で社員育成や会社の骨組で悩んでいた時期もあったんですよ、ハッキリ言って。だから俺は言ったんだ。俺はちゃんといるから、おまえはおまえの色に染めろって。最初は登坂も言われたところでピンと来なかったと思う。要は、おまえは好きなようにやっていいんだ、俺はそれをヘルプするからっていうことで手広くやるようになった。その結果、大日本が真ん中のちょっと隅っこかな、歩いてきたんだと思う。

いい形で小鹿さんと登坂さんの役割分担ができるようになったのも会社の成長だったと思います。

小鹿 一度は会社閉鎖という危機的状況一歩前までいったからねえ。でもその時、学校の先生から推薦を受けてきた若者が一人おったんです。「ウチの生徒が大日本に入りたいと言っておりますので小鹿さん、テストしてください」と。会社の資金繰りとか火の車だわ。そんななのに大日本に入りたいという若者がいる。俺、その時涙が出たんだわ。直立不動で「お疲れ様です!」って礼儀正しい若いのがいるのに閉鎖なんてできないと思ったよね。

その若者はデビューできたんですか?

小鹿 デビューはできたんだけど、1年ぐらいでいなくなったな。

今はいない若者の存在が大日本を存続させたと。

小鹿 若い子のエネルギーっていうかな、引っ張られたというと語弊があるけど、後ろを押されたっていうかな。

背中ですね。

小鹿 そういう人情的な気持ちあったから。今も持っているんだと思うよ。もうひとつ忘れられないことがある。徳島の海沿いにある会場だったんだけど…。

アスティとくしまですかね。

小鹿 会場費がけっこう高いところなのに70~80枚しか売れてなかった。プレイガイドを回っても売れていないと。それでマイナス思考になっちゃって、ドラマじゃないけど海に向かってイスをバーン!と投げたらそこにカモメが飛んでいた。映画のようなシーンよ。

そういう映画があったんですね。

小鹿 そうしたら、体育館の中でスクワットをやっている若いのがいる。その頃のウチは所属が7、8人であとはフリーだから設営をやる人間が少ない。そういう中でもリング設営をしっかりやって、そのあとにスクワットまでやっている…関本大介ですよ。聞くと、いつもそうしているという。それを聞いて、あの時も涙が止まらなくなったな。

イスに当たり散らすなんて、俺は何をやっているんだ!って思えたんですね。

小鹿 そういう選手一人ひとりの姿によって、プロレスっていう業界を抜けずにいられた25年だったんだなあって、来年になったらね。

設立当初に小鹿さんが夢として描いていたのはどんなことだったんですか。

小鹿 (即答で)新日本プロレスに勝つってこった。最初からそればかりを考えていたんよ。それで僕はメジャーがやらないこと、そしてデナーが一つじゃ太刀打ちできんなと思ってデスマッチ、ストロングスタイル、女子と3つのデナーを考えたんです。

あれも新日本に勝つためだったんですか。

小鹿 そうよ。デスマッチや女子は新日本が逆立ちしたってできない。でも、女性の世界には入っていけないと思って3年でギブアップさ。それで女性部は廃止すると、デスマッチは暴れん坊の桜田(一男=ケンドー・ナガサキ)がいるけどほかにいないから記事にならないって新聞記者が言うわけ。「じゃあ、俺がデスマッチをやったら載るか」って聞いたら「ええっ、小鹿さんが試合に出るんですか!?」って驚く。

その時点では全日本プロレス時代に一度引退されていた身ですからね。

小鹿 やりたくないけどさ、何行でもいいから載っけてもらいたいんだよって。

わずか数行のためにデスマッチへ足を踏み入れたと。

小鹿 何年もリングに上がっていなかったから体が戻っていない。それは昔の熊さん(大熊元司)とやっていた頃の印象で見る人には申し訳ないと思って、それでテーシャツを着てやるようになったんですよ。もちろん、その頃は俺の時代じゃないことはわかっていましたよ。でも、若い子がメインをとっても載らないから。でも俺がやることで載れば“大日本”の文字が躍るでしょ。タッグを組めばパートナーの名前が載るでしょ。それが最大の目的だったんよ。そうしたらさ、リングに戻ってみたら自分の気持ちが高揚しちゃってさ。「新日本、全日本、フザケんな!」ってなって。でも、鼻っ柱を折られちゃったなあ。

バラモン兄弟から盗もうと
思ううちにやられてしまう

1997年の1・4東京ドームにおける対抗戦ですね。

小鹿 あれが設立して3年目でしょ。俺自身はどうなってもいいから、大日本プロレスが新聞や雑誌に載ればいいと思って。その決意の表れが赤い頭と手りゅう弾ですよ。

髪を染めてセンター花道を進んだんですよね。

小鹿 リングに上がるまでブーイングでもなんでも、お客さんに声をあげさせたら俺の勝ちだと思った。試合の日は朝5時に起きて、一回髪の毛から黒を抜いて…あれ、なんていうの?

ブリーチですか。

小鹿 それを3回やったな。それで準備万端。手りゅう弾は谷口(裕一)がどっかから買ってきた。

どこから持ってきたのか把握していなかったんですか。

小鹿 一度リングに入ったら何が起こるかわからない(相手はマサ斎藤)。いかにリングに上がるまでが勝負かと思ったよ。それで俺はあの時、いったん立ち止まってドームの中を見渡して大日本のファンがどれぐらい来ているかを見た。

数えられるものなんですね。

小鹿 そうしたらレフェリーの山本小鉄が突っかかってきた。それで場外に逃げたりして7、8分は持たせたと思う。それで大成功だと思った。

つまり、一秒でも長くいることで大日本を印象づけるという狙いですよね。

小鹿 その通り! 試合が終わってまず思ったことは何か。ああ、腕を折られなくてよかった…ですよ。それぐらいの覚悟を持って上がったからな。

団体対抗戦はどこで何があるか予測できないですから、そう思うのはわかります。

小鹿 あの頃のプロレス界は今と違ってギスギスしていたからねえ。向こうが挨拶して来たらするけど、こっちからは絶対しないってお互い思っていた。

意地を張るにもほどがあります。

小鹿 でも、その時代はそれでよかったんじゃないの。そして今は今のやり方もある。よく、十年ひと昔っていうけど、今は五年ひと昔だと思っているんよ。それだけサークル(サイクルのこと)が速いってこった。だから今の流れについていけないじゃなく、遅くてもついていかなかったみんなと話が合わない。今、プ女子っているでしょ? 20年前、誰が想像しました? しないでしょ? 僕らの時代は地方にいけばお爺ちゃん・お婆ちゃん、そうじゃなかったら7割が背広を着た大人の男ですよ。女の人がプロレスを見にいくなんて言おうものなら指を差されたような時代です。だから僕らも時代に合わせて頭の中を変えていかなければならないんだよ。

小鹿さんが若い頃にプ女子がいたら、モテてモテて大変だったでしょうね。

小鹿 フフフ…そんなことはないよ。荷物は持てたけど、僕は女の子にはモテなかったですから。

小鹿さんは、昔と比べて今は…ということを言わないですよね。

小鹿 今の若い連中は…っていう言い方は嫌いなのよ。だってさ、今の若いのがそうなったのは僕らの世代、あるいはその下の親が親として何も教えなかったからじゃない。世の中の移り変わりを、子どもは聞く耳を持っているのに教えない。なんでも学校の責任にするような世の中ですよ。先生に殴られたとかいって家に帰ってきたら「おまえが悪いから怒られたんだ!」といってもう一つオマケにゲンコツを食らわす。そんな時代があったなじゃない。そういうことをやらないから、子どもたちがわからなくて今がこんなになっちゃっている。それは子どもたちのせいじゃないんだ。

過去にとらわれず、今を考えられる姿勢が素晴らしいと思います。

小鹿 過去は大切なものだけど、それ以上に今日や明日をよくしていく方が好奇心を持てるもん。ただなあ…そこはやはり77歳にもなると何もかもができるわけじゃない。人が思うよりも動きも体も重いんですよ。若い時はできてもこのトシになったらできなくなることばかりでさ。それでも今年は去年と比べて1・5倍試合やっているけど。

ええっ!? 増えているんですか! 確かに昨年あたりから大日本だけでなくローカル団体の新潟プロレスでも活躍されていますよね(現在、シマ重野とのコンビで新潟プロレスタッグ王座を保持)。

小鹿 骨折のようなケガはお客さんにも見えるからわかるけど、筋肉痛とか筋が切れたとかは見た目だけだとわからない。今はね、次の日は大丈夫なんだけど2日3日経つと痛くなる。その分、よけいに長いこと苦しいんだけどね。

現在の練習量はどれぐらいなんですか。

小鹿 練習と言えるかわかんないけど、小鹿流としては腹筋と股関節。

お忙しい中、時間があればそれを…。

小鹿 いやいや!(さえぎって) 時間があればではない。僕は必ず睡眠を12時間とるようにしているんだけど、目が覚めたら布団の上で器具を使わない腹筋、背筋と股関節をやるんです。トシいって器具を使う運動すると、グーッと力を入れたら血管が膨らんで倒れる。でも、年齢に応じた運動だったらどこでもやれるんです。

昨年、新潟プロレスのシングル王座を保持していた時に重野選手を相手におこなった防衛戦の映像を見させていただいたんですけど、グラウンドのサバき方やそこに小賢しいプレーを入れるあたりが本当に見ていてシビレたんです。76歳になっても、若い頃に体へ染み込ませた技術はちゃんと忘れずにいられて、ひきだしを開ければ使えるのだなと。

小鹿 それは昔と比べたら劣るかもわかんないけども、出てきます。

その技術をバラモン兄弟に見せてやりましょうよ。

小鹿 バラモン…俺もよう考えてやってんだけど、あいつらは賢い。やるたびに作戦を変えてくる。こう来るだろうと思ってこっちもやるんだけど、パッと自分で身を守ったりね。

我々から見れば水攻撃、ボウリング、墨汁といったところが相場ですが、毎回違うと。この数年、ずっとつきまとわれていますよね。

小鹿 あの野郎どもは憎んでも憎みきれないんだけど俺、好奇心あるじゃん。こう来たら、それを盗もうと思っちゃうんですよ。それを盗もうと考えている間に黒炭かけてやられちゃう。盗もうにも盗ませない。これも敵ながらプロだよな。

なんのプロなのか。

小鹿 だけどこっちもそれでも盗もうとするから、張り合いがあるんだよ。俺が逆に(墨汁を)かけてやろうと思うんだけどさ、これだけ長いことやっててできないということは、彼らが賢いんだよな。

不意打ちだったらうまくいくのでは? それだったら小鹿さんの技術も負けていません。

小鹿 不意打ちだと面白くない! 正々堂々と正面から黒炭をかけてやりたい。ただ、向こうは2人だしなあ。それが悩みどころかな。

俺は不器用だからこそ器用な
棚橋選手とは面白い試合になる

最近ではまさかのBJWジュニアヘビー級王座への挑戦がありました。全日本プロレスで極道コンビとして鳴らしていた頃を思うと、こんなシチュエーションが訪れるとは…。

小鹿 たださ、もともと大日本にいたTAJIRIが持っているベルトだし、ウチを出たあとに海外で出世したのがどれほどのもんかと思ってさ。でもやってみたら、やっぱりすごいパフォーマンスだったし、もっとやりたいと思った。初めてシングルでやって何が出てくるかわからないうちにやられてしまったな。タッグマッチだったらコーナーで控える時に考える時間があるんですよ。シングルだとアイデアが浮かぶ前にやらなきゃいけない。その差が出たかな。

でも、あのTAJIRI選手と77歳でシングルをやること自体が奇跡のようなものですよ。

小鹿 フハハハハッ。でもさ、来年25周年という中でたくさんの選手が大日本に上がって「二度とこんなリングに上がるか!」って思うようなリングではないんだよね。大日本のプロレスに上がるのが一つの目標と言われた時は嬉しかったなあ。それほど選手たちが練習していい試合を見せて、闘いたいと希望されるようになった。そういう希望を与えるリングが大日本プロレス!って、嬉しいじゃないの。そうなった今だからこそ改めて思いますよ。旗揚げの頃、中には「なんで横浜なんて東京から離れたところに設立したんだよ。世田谷とか青山でやればいいだろ」っていう人もいたけど、俺はそういう一等地みたいなところに事務所を構えるよりも、ちょっと離れたところでもいいからまず道場を持たないといけないって思ったんよ。それで自分でここを見っけて、自分で青いペンキを塗ったもんな。

ええっ、この鴨居の道場の内装を小鹿さんご自身でやられたんですか!?

小鹿 そうよ。そういうのまでやって苦しかったけど、正解だったなと。道場がなかったら、ヨソの選手から大日本に上がりたいって思ってもらえるような団体にはなっていなかったですよ。

関本大介も岡林裕二のようなストロングBJ勢も生まれなかったでしょう。

小鹿 来てないよ、ウチに。僕が自慢できるのは、大日本の人間の中に昔のいじめのような根性の腐ったやつは一人もおらんことです。それは最初に、僕が相撲から日本プロレスへ入った時にいじめられたことを全部言ったから。その上でこういうことをやっちゃダメだよと言い聞かせて、その教えがちゃんと受け継がれている。だから、選手がニコニコしていると僕が「おい、なんかいいことあったのか? 教えてくれよ」と言ったら「いえ、会長は年寄りだからダメです」って返してくる。これはユーモアだからいいんですよ。

ユーモア。

小鹿 悪いと思っていないから。そういう雰囲気はいいと思うよ。昔はそんな口聞いたらコノヤロー!ってなったけど、今はそうじゃなくていいんですよ。

新潟シングル王座を獲得した時も出た話ですけど、77歳で自ら更新したので本当にギネスブックへ申請した方がいいのではと思います。

小鹿 やりたいんだけど、手続きがわからない。一回、スマホで調べて途中までやったんだけど、最後の最後で押すところがわからなくなった。

ギネスの申請ってスマホからできるんですね。

小鹿 5、6年前にスマホに変えた時、みんなが「会長、使い方わかるんですか?」って言うから「バカヤロー! ちゃんと使えるから教えろ」って言ったんです。でも、教わってもすぐ忘れるのさ。パソコンとかも途中までは文章とか書いているんだけどどっかヘンなところ押しちゃって消えちゃうのさ。せっかく書いたのに文章、パーよ。

ギネス申請も事務所のスタッフさんに手伝ってもらえば…。

小鹿 いやいや、そんな私事でスタッフに動いてもらうわけにはいかない。みんなそれぞれ忙しんだから。

でも、載ったら大日本プロレスにとっても名誉なことですから社内業務でもあるんじゃないでしょうか。

小鹿 うーん…そうはいかんよ。まあ、来年が25周年だからその年にギネスに載れば大日本のファンもほんわかするだろうし、いっかな。

今、プロレス以外で好奇心が持てることは何かございますか。

小鹿 NPO法人を作って5年になるんですけど、北海道庁に印鑑もらって資源を増やすべく植樹をやってきました。70歳になってあと何年生きるかとなった時に、俺は何一つ残していないって気づいたんです。相撲の巡業から始まって日本全国をまわってきていながら、何も恩返しをしていない。ならば自分の時代ではなく未来の子どもたちのために、日本に生まれてよかったなと思えるのはどういうことかと考えた時、山に木を植えるとその山からきれいな水が海に流れると。そうしたらプランクトンが湧いて小さな魚が食べにきて、今度は大きな魚が小さな魚を食べにくる。つまり、陸の上でやっていることが海洋資源につながるんです。それを自分の時代ではなく未来の子供たちのために日本全国でやれば、将来日本は資源大国になれるんです。植樹に協力してくれた人たちがお爺さん・お婆さんになって「この木はね、私たちがプロレスの人と一緒に植えたんだよ」と孫に教えることで、お爺さん・お婆さんの木として孫が郷土愛を持ってくれるし、町のシンボルになるじゃないですか。

地方活性化ですね。

小鹿 そんなことを5年間やってきてプロレス界を振り返ると、この業界は社会貢献がまだ少ない。そこに関してはアメリカより5年も10年も遅れている。だから大日本に限らず、何かの社会貢献を他団体にもしてほしい。

わかりました。小鹿さんはもう、どこかのタイミングで現役を引退するという形は考えておられませんよね。

小鹿 ずっと現役でやるつもりですよ。リングに上がらなくなったら、運動不足になるからさ。

仮に今、自分が若かったら誰と闘いたいですか。

小鹿 (光の速さで)棚橋だな。

おおっ!

小鹿 俺は不器用だけど、彼のような器用な選手とやれば面白い試合になると思うんよ。100%不可能だろうけど、棚橋選手もあと10年、20年経ったら引退どうのっていう年代になってくる。僕はその時、100歳でしょ。ホント、いつまでやれるかなって思うよ。よく夢を見るんですよ。階段を登ってカッコよくリングを上がろうとしたら、コケて下に落っこちるんです。だからええカッコしちゃダメだって、自分を戒めるんだけどさ。そうやって25周年を迎える輪の中にちょこっといさせてもらえたらいいね、ひょっこりくんみたいにさ。

77歳にしてリングへ上がり続ける小鹿さんは僕らにとっても誇りです。僕は今の調子なら150歳ぐらいまで長生きすると思っているので、一日でも長く元気な姿を見せ続けてください。

小鹿 そのつもりでやりますけど、俺が死んじゃったら健さん、起こしにきてくれる?