鈴木健.txt/場外乱闘 番外編

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、サムライTVにて解説を務める鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txt/場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2015年10月号には、第25回ゲストとしてセンダイガールズプロレスリングの里村選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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里村明衣子(センダイガールズプロレスリング)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

仙台から発信されたものが
メジャーになる夢を追って

里村明衣子(センダイガールズプロレスリング)

2つの思いが団体継続を決断
「今が一番楽しいです」

―20年もプロレスに携わってきた中、ここ最近で特に思うことがあれば聞かせてください。

里村 今、プロレスブームと言われているぐらい熱くなっていますよね。それほど新日本プロレスさんが来ている。そういうのを見るたびに、女子プロレスも同じような熱を生み出したい、また生み出せると信じてやっています。新日本さんが宮城県に来るとチケットを買って見にいくんですけど、それが5、6年前の動員と全然違っていて…私たちの会場で同じような熱が生まれているかといったら、まだそうではないんですけど、団体をやっていく上での方向性において、すごく学ばせていただいています。

―まだ、自分たちに具体的な好影響を及ぼしているまでにはいたっていないと。

里村 世間がプロレスに目を向けてきたなっていうのは感じています。でも、新日本さんと同じところへいくには、選手は今の10倍は頑張らないといけないでしょう。センダイガールズとしての露出もだいぶ増えましたけどそれとはまた別で、仙台で活動していると東京の進出の仕方とは違ってくるんです。対人における信頼関係がすごく強く結ばれているので、いろんなところで協力していただいてこちらも足を運ぶことによって、年々信頼を得てきている部分がある。来年でセンダイガールズは10周年を迎えるんですけど、コツコツ続けてきたことが、メディアやファンの信頼に結びついた結果だと思うんですね。

―ブームによる影響とは違うということですか。

里村 そうですね。でも、まだまだ…男子の熱に女子が比例しているかといったら、そこまでは感じられていないんで。

―その熱の差は、どこに原因があると思いますか。

里村 ウチは団体として活動しているので、女子の団体の中で独走するぐらいでないといけないんだと思います。今年、新人が3人デビューするんですけど、去年よりも新しい力が生まれて活力も上がってきているんで、もっと新人を増やして。

―男子の中で新日本が人材的に抜きん出ているのと同じように。

里村 はい。2005年にセンダイガールズを旗揚げした時点で選手は私一人でしたから、とにかく選手を育てることが選手としてやること以上の比重だったんです。でも3、4年経つとせっかく育てた選手たちがやめて、また入ってきてはやめての繰り返しで。去年はそこにケガも重なって私とDASHチサコの2人だけになったんです。これはもう自ら団体を閉めるか、それとももう一度やり直す気力が自分にあるかというところでの選択になって。それで自分に問いかけて、もう一度やろうとなったんです。

―団体として維持したかったんですね。

里村 女子プロレスのブームを起こしたいという気持ちが強かったのと、一生この世界で生きていくという自分の中で決めていたことがあったんで、その2つによって決断できましたね。

―そのタイミングで3人の新人が入ってきたと。

里村 全員スカウト活動の中で出逢ったんですけど、3年かかりました。岩田美香(今年7月デビュー)は高校1年の時に「プロレスラーになりたい子がいる」という紹介を通じて、すぐに連絡してツバをつけて。

―ほかに獲られないように。

里村 ずっと福岡に通ってお母さんと面談したり「最近どう?」とか連絡したりというのを続けて、卒業してから入団しました。時間をかけて、自分の足を使ってやらないと今は集まらない時代です。3年かけてやっと獲得して…先にデビューした宮城倫子も2年かけたし、10月11日の仙台(サンプラザホール=里村20周年記念大会)でデビューする予定の橋本千紘は7年前にオーディションを受けて、中卒で入ってくる予定だったんですけどレスリングの方にいくとなって、高校・大学と続けて世界3位にまでなって卒業する時にもう一度、私から声をかけたんです。

―それは逸材ですから、ノドから手が出るほどほしいですよね。

里村 後楽園に試合を見にきてもらって、そのあと食事の席で決まりました。プロになるためにレスリングへ進んだわけではなかったので入る保証はなかったんですけど、また戻ってきてくれたんですよ。そのために待ったのが7年という時間でした。人材を一人獲得するのに、すごい時間と労力がかかる。それを面倒臭いとか思っていたらやっていけないんです。コツコツやり続けて、それであと2人ぐらい入ってきたら勢いがつくんじゃないかと思っています。

―そういった活動は通常、フロントの人間や一線を退いたベテランの選手がやることです。里村さんはプレイヤーとしても第一線にいながら両立している。よく時間がありますね。

里村 なくてもやらなきゃダメなんです。

―2011年に、旗揚げから社長を務めていた新崎人生さんが退任し、後任として引き継いだ以後はそれまでより負担が増えているはずです。現在は、立場的に経営者でもあるんですよね。

里村 全部やっています。4年やってだいぶ要領がよくなりましたし、後輩たちも分担してやってくれるんで。まだ素人だと思うし、このちっちゃい中でもがいている自分はまだまだだなって思います。JWPの(コマンド)ボリショイさんや、GAMIさん(WAVE)はもっと大きな規模でやっているし、飲食店もやっているわけですから。今の自分のやり方が正しいかどうかといったら、もうちょっとやり方があるといつも思うんです。

―ベターであってもベストではないと。

里村 本当はスタッフを2、3人入れて、任せられることは任せて自分のやるべきことをしっかりやっていきたいんですけど…。

―現在、センダイガールズ専属の社員スタッフは?

里村 フロントの専属はいないです。

―にもかかわらずプロレス団体としてまわっているというのは、すごいことだと思います。

里村 でも自分が40歳になった時に、選手が10人以上いて後楽園ホールも月に一度はできて、年に一回は日本武道館でやるビジョンを持っているんで。それまで現役を続けているかはわからないですけど、引退しても団体はやっているつもりでいます。

―その現役の方も、これまで何度となくケガによる長期欠場に見舞われて諦めかけたことがあったと思います。

里村 椎間板ヘルニアの手術を4回受けたんですけど、今はすごくいいですし、100kgの相手も持ち上げられます。それもこのトシでしっかりと目標を持って、こういう体を目指したいとか、もっと高い目標をクリアしていくことで過去のケガも乗り越えていけることが証明できたんだと思います。今年はボディビルにも挑戦して、また肉体改造できましたし。ボディビルに挑戦した時は今よりも9kg絞った状態で、天龍(源一郎)さんと対戦するにあたって増量しているんです。体重の振り幅が激しいんですね。そこに食事制限も付随してくるんですけど、私はそれを楽しめているんですよ。

―食べたいものが食べられないのに?

里村 それ以上に、自分の体が変わっていく過程を写真とかで見るのが楽しいんです。ご飯が大好きなんで、炭水化物を抜くのが大変ですけど、それでも「あー、食べられない…_| ̄|○」とはならないんです。

―辛いことを楽しいことに変換できるのが、最大の力なのかもしれません。

里村 本当は目の前の試合、ボディビル、新人育成とどれかひとつに没頭したいとは思います。たとえば減量しなければいけない時期に営業が朝から10件ぐらい入っていて、一日の最後が食事会となっても食べられないんですよ。何も食べずに食事会の2時間、3時間を過ごすという。

―エアー食事ですね。

里村 あとは、本当はタイトルマッチや減量に没頭したいのに、やっぱり会社を運営する上で向き合わなければならない数字が常に頭の中へある。20年前に自分がそんな境遇にあるなんて、まったく想像していませんでした。

―仙台を拠点にするのも、ボディビルをやるのも…。

里村 天龍さんと対戦できるというのも。20年続けられるかどうかというのも思っていなかったですけど、プロレスで私は生かされているので、一生プロレスで生きていきたいというのは15歳の時から思っていましたし、確実にその頃に頭の中で描いていた以上の形になっています。今が一番楽しいです。

―こんなに忙しいのに。楽しくなかった時期もあったんですね。

里村 ケガで1年間休んでいた時は自分の体がどこかにいったような感覚でしたね。リングに上がっていない分、時間はあっていろいろできたんですけど、充実感が得られなかった。ただ、ケガ=やめるというようにはしたくなかったんです。それを乗り越えた先輩をたくさん見てきたんで。そういう意味でも、出逢う人に恵まれましたよね。この世界に入った時から、最高のプロレス技術を教わることができたわけですから。長与千種さんがいて、GAEA JAPANというしっかりした団体があったことは今でも本当に感謝していますし。だからこそ今、入ってくる子たちにはプロレスへ没頭できる環境を与えてあげたいって思うんです。

20年後には“マダム”と呼ばれて
世界中から道場へ集まるようになる

―20年前の自分と比べて、この時代に女子プロレスへ入ってくる人たちのモチベーションはどう映りますか。

里村 きっかけはそれぞれで、たとえばお母さんがプロレスファンで自分も好きになったから入りたいとか、宮城倫子は(九州造形短期大学造形)芸術学科を卒業してプロレス研究部にいた選手で、デザインとプロレスを両立したいという希望を持っていたんですけど、両立してでもプロレスに対する熱は昔も今も変わらないと思います。だからこそ、情熱を懸けてやっていることに対し自信を持てる環境を作ってあげたいと、すごく思いますね。

―下の選手たちは上の人を見て育ちます。背中を見せていく立場として心がけていることはありますか。

里村 ファンの時は趣味で見ていて、好きだからという理由だけでプロレスを見ることができますけど、そうではなくてあなたたちにとってプロレスは職業なんだよっていうのは言っていますね。練習も仕事であり、食べることも仕事であり、ファンに支持されるには何をすべきか考えることもすべてが仕事であることを植えつけないと、あこがれだったものがやってみたらちょっと違ったというだけで続けられなくなってしまう。どの世界でも同じだと思います。

―背中を見せつつも、里村さんは今ものびしろを持っています。スターダムで最高峰のベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)を宝城カイリ選手から奪取しましたし、DDT両国国技館大会では先ほども出ましたが天龍さんとも対戦しました。

里村 体の調子がいいことが、やっぱり一番自分のモチベーションが上がる秘訣なんだなと思いました。日々のトレーニングはもちろんですけど、私にとってプロレス観戦が調子をあげるための力になっているんです。

―プロの選手でありながら、観戦するのが大好きだと。

里村 触発されますね。それが一番のモチベーションになります。

―里村さんは男子からどんな刺激を受けますか。

里村 女子は眠っているものが多いなと思います。もっと引き出せるのに、それができない何かがあるというのはもったいない。男子はそれをすごくうまくやっていますよね。そこが行動力なんでしょう。

―今一番、刺激をもらえる男子の選手は誰ですか。

里村 棚橋弘至さん。

―そこは業界を背負って立つ人間としての姿勢とか、そういう部分ですか。

里村 はい。

―では、棚橋さんと並び立つ存在にならなければならないですね。そんな中、20周年を迎えたわけですが。

里村 自分の可能性と団体としての可能性、そして若手の可能性とさっき言ったように眠っているものを起こしたいというのがあります。自分の気持ちがしっかりしていればほかの人は理解してくれますし…何かいい方向につなげていきたいですね。

―ということは個人の20周年であっても、センダイガールズ全体としての視野になりますね。サンプラザ大会では、シングルとタッグのベルトが新設されます。

里村 7月に私がスターダムのベルトを獲って、十文字姉妹(チサコ&仙台幸子)もタッグ二冠のベルト(JWP認定タッグ&デイリースポーツ女子タッグ)を獲ったことで、強さの象徴として示せた。そこで今後は団体内のベルトを創ることで価値を高めていきたいというのが狙いです。それも今後、人数が増えることを想定しての設立ですね。実を言うと、自分の20周年というのはあまり頭にないんですよ。サンプラザ大会も、最初は大会名につけないようにしようと思ったんですけど、仙台のファンの皆さんが絶対につけてくださいって言ってくださって。それで図々しくも7月の新潟大会(地元凱旋興行)とこの仙台大会は20周年とつけさせていただきました。

―11月の後楽園もつけてよかったですよ。みちのくなんて2年越しで10周年記念大会って謳っていましたよ。

里村 後楽園まで20周年というのはさすがに…と思って。でも本当に、20年目にいる自分がしっかり頂点を目指しているかどうかであって、その頂点とはどこまでの範囲のものなのかというのを見ていかないという思いが強いです。たとえば宮城県内の皆さんだけが満足する頂点なのか、それとも女子プロ界だけの頂点なのか、あるいは今、男子の中で注目されている選手のように世間が食いついてくれるような頂点なのか。それをもっと大きくしていきたいですよね。

―目指すのは当然、3つ目にあげた頂点ですよね。

里村 はい。今、こんなにもプロレス熱が高まってきた中で、その人たちが女子プロを見た時に「女子ってこんなものなのか」と思うのか「女子ってこんなにすごいのか!」って思うのか。女性の持つすごさを出していきたいんです。そうなることで日本中に、まだ出逢っていない未来の女子プロレスラーがいると思うんで、それを発掘していきたい。その子たちが食いつくためには、あこがれの対象となる選手を育成しなければならないですし。やらなければいけないことがいっぱいあるんで、やめられないですよ。

―特にセンダイガールズは、東北の団体として“3・11”と向き合っていく使命があります。

里村 そこは離れられないです。今まで東北で私たちを応援してきていただいた皆さんが、私たちが有名になることで「応援してきてよかったなあ」と思える存在になりたいですよね。センダイガールズは女子プロの中で初の地方発信団体なんで、仙台から発信されたものがメジャーになることが私にとっての夢であり、使命だと思っているんです。いつかは女子プロレスといったらセンダイガールズ、仙台といったらセンダイガールズとなるのが旗揚げした時から続いている思いなので…団体として10年、選手として20年ですけどこの前、京平さん(和田京平レフェリー)にお会いした時「俺なんてもう40年だよ」と言われてすごいなーって、上にはとことん上がいるなと思いました。

―40年といったらあと20年ですよ。20年後の自分はどうなっていると思いますか。

里村 20年後の自分は…道場で“マダム”と呼ばれて、世界中から選手が集まってくるようなメジャーな団体になっていることを想定して今、やっています。年に1、2回タイのバンコクへ修行しにいくんですけど、そこのムエタイのジムは女社長で。8年前に初めていった時からの成長過程がすごいんですよ。クーラーさえついていなくてリングもボロボロだったのにどんどんインターナショナル化していって、きらびやかな宿泊施設に30人ぐらい泊まれるようになって、世界中からファイターが来ているんです。ひとりの選手がチャンピオンになってスターになるや、どんどん大きくなっていった。そうなりたいですよね。私も仙台の国分町に10人ぐらい引き連れて、注目されたり…20年経ったらこの話、また出してください。