鈴木健.txt/場外乱闘 番外編 Vol.103

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2025年8月号では、第133回(本誌ナンバリング)ゲストとして全日本プロレスの青柳優馬選手&青柳亮生選手の兄弟が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!

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青柳優馬&青柳亮生(全日本プロレス)x鈴木健.txt 場外乱闘 番外編

全日本への還元から地元への還元…
物事を流動させたいんですよね

青柳優馬&青柳亮生(全日本プロレス)

地元が誇れる人間になりたいというのが
あったのでアンバサダーは狙っていた

8月10日の地元・松本凱旋興行がサムライTVで中継されることになりました。それほど注目される大会ということになります。

優馬 今まで何度か地元でやったんですけどテレビ中継はなかったですし、キッセイ文化ホール(松本文化会館)という今回開催するエア・ウォーターアリーナ松本(2024年4月より松本市総合体育館がネーミングライツ)と同じ敷地内にある少し小さい会場だったんです。僕らがよく聞いていたのは、ジャイアント馬場さんがご存命だった頃は松本でプロレスが開催されるとなるとその大きい方でやっていたと…何年ぶりでしたっけ?

22年ぶりだそうです。

優馬 22年ぶりに大きい方へプロレスが帰ってくるというのは楽しみでもあり、胃が痛い気もしないでもないです。

松本市総合体育館の方でやるというのは、夢として持っていたんですか。

亮生 松本へ帰ってくるたびにこっちの大きい方でやれたらカッコいいし、胸張れるなというのはずっとありました。だから、めちゃくちゃ嬉しいです。

22年前となると優馬選手は7歳、亮生選手は3歳でした。

優馬 1回、確か新日本プロレスだったと思うんですけど父親と一緒にいった記憶があります。当時は規模でいうと10分の1ぐらいのめいてつショーホールという会場をよく使っていて、そっちの方はよく憶えているんですけど。総合体育館の方は普通に市民としてスポーツやトレーニングで利用したこともなかったし、駐車場だけですね、使ったことがあるのは。

22年前(2003年6月11日)の記録を調べると武藤(敬司)ゼンニッポン時代で、第1試合に河野真幸選手、第2試合に石狩太一(現・タイチ)選手が登場し、セミファイナルで川田利明vs嵐(高木功)、メインでは2日後の愛知県体育館で三冠ヘビー級王座を懸けて闘う橋本真也選手と小島聡選手が6人タッグマッチで対戦…そういう時代です。

優馬 そういう歴史をたどると、ウチの団体って複雑すぎますよね。武藤ゼンニッポンだというのは知っていましたけど、1年後には姿形が変わっているような歴史を重ねてきたんで。そういう歴史の中で今回、松本の大きな会場で開催できるというのは、ようやく安定してきて全日本プロレスの地固めができつつある象徴でもあるのかなって思います。

大会場で開催するとなっての地元のリアクションはどうでしょう。

優馬 タイミング的に全日本プロレスのレスラーとして地元の観光アンバサダーにもなれたので(6月16日より2年間就任)、いい方向に進んでいる気はします。

亮生 ニュースでもとりあげてもらって、地元の友達から見たよとLINEが来たり、すれ違うおじいちゃんやおばあちゃんから「この前、ピンクのあなた、見かけたんだよ」と言ってくれたりとかもあって、反応が変わったとは思います。

またいいタイミングで松本市観光アンバサダーに就任しましたよね。

優馬 自分たちでどう動けばなれるのかわからなかったんで、いつかはなりたいな程度にしか思っていなかったんですけど苦節10年、ようやく夢がかないました。やっぱり、そういう市を代表する選手、地元が誇れる人間になりたいというのはあったので。

亮生 地元の観光アンバサダーになっているプロレスラーって何人かいるじゃないですか。松本市でもそれができたら、カッコよくね?っていうのはあったんです。話が来た時は本当に嬉しかった。

自分たちの方で選ばれるよう具体的に動いたんですか、それとも向こうからの依頼として来たのか。

優馬 どうなんでしょう、もしかすると会社の方でかけあってくれたのかもしれないです。そのへんの経緯は僕ら、聞いていないんですよ。「なりました」としか言われていないんで。こんなこと言っていいのかわからないですけど、棚からぼた餅状態。

いやいや、地元を代表する立場になったんですからすごいことですよ。

亮生 非常にありがたいですし、悪いことはできない。

品行方正にいけますか。

亮生 今から真面目にやります。

優馬 使命としてはまず地元の魅力というか、こういうものやこういう名所がありますよと発信できる時にとにかく発信してくださいという感じでしたね。ざっくり言うと、今までやってきたことをそのままやるだけなんですけど、その言葉の裏には何かあるんじゃないですか。もっと影響力をつけて魅力を発信してくれみたいな。現実的に、松本へお金を落としてもらえるよう頑張ってくれということだと思っています。だから今回の凱旋興行もその一環になります。これをきっかけに、総合体育館の方でやるのが当たり前になるぐらいの熱量に戻したい。ありがたいことに、ファンクラブの方ではけっこう早い段階で最前列が売り切れたので。ファンクラブって、東京の近圏の人がたぶん多いから、関東の方々に来てもらえると思います。

東京-松本って、そう遠くないんですよね。

亮生 電車でもバスでも近いんです。

優馬 ただし、気を抜いてはならないのが松本駅から総合体育館がべらぼうにある。歩いたら40分ぐらいはかかるんで、夏は歩いてはいけません。ちゃんとバスが出ていますからそれを利用してください。田舎特有の少ない本数ですが。

松本のプロレス会場としては、1990年12月1日のUWF最終興行で松本運動公園体育館(現・松本平広域公園体育館)や、その近くにあるやまびこドームへいったことがあります。

優馬 ああ、あのあたり(信州スカイパーク)周辺が興行としてはやりやすい空間だと思います。僕も何回か利用したことがありますし、デビューして最初の凱旋興行(2015年11月25日)が空港近くのその体育館でした。

亮生 そこでも試合したいな。

松本市内のプロレス熱というのはどんなものなんでしょう。

亮生 昔から松本って長野県内でも毎年来てくれるイメージで、よくいっていました。県内では松本が一番多いと思います。僕は小学校3年ぐらいからプロレスが好きになって、親父と3人で見にいっていました。

優馬 それ以外(姉と弟2人)はプロレスに興味がない。

亮生 家族全員で見にいったのは、青柳さん(兄をこう呼ぶ)がデビューしてからですね。それも旅行ついでという感じなんですけど。

お兄さんは獣神サンダー・ライガーから入って闘魂三銃士・四天王世代じゃないですか。亮生選手はどの時代が入り口になるわけですか。

亮生 僕はDRAGONGATEさんでした。土井成樹さんを見て、バカタレスライディングキックをベッドの上でやっていました。

ええっ!? その土井選手と闘うようになるとは。

亮生 今回のリーグ戦(ゼンニチJr.フェスティバル2025。7・17後楽園~8・3大田区で開催)でも開幕戦で当たります(結果は勝利)。ただ、DRAGONGATEさんが松本に来た印象はなくて、神戸ワールド記念ホール大会に家族旅行で連れていってもらっていました。

家族で神戸ワールドに! けっこうプロレスを見るために家族で遠出していたんですか。

優馬 いや、その神戸ぐらいです。

亮生 3回ぐらいいきました。2回目までは(下2人の)弟には黙っていきましたけど、最終的には家族旅行にしちゃおうって。試合を見て、次の日は神戸観光して松本へ帰るという。

理解のある親御さんでよかったですよね。お父様がもともとプロレスラーを目指していたというのもありますが。

優馬 はい。僕がデビューしてからは姉がハマって、全日本を見るためにけっこう遠征して「今度は富山へ見にいくよ」とか。去年は仙台に来ていました。

行動範囲が広い一家ですね。

亮生 弟はいまだに興味がない。

現在、お二人でアジアタッグ王座を保持していますし、優馬選手は宮原健斗選手と世界タッグ王者でもありますので、なんらかの形で当日、タイトルマッチは開催できると思われます。

亮生 僕もジュニアリーグの優勝戦が8月3日ですから、松本の1週間前。優勝すれば世界ジュニアヘビー級に松本で挑戦できると思うんで、狙っています。

優馬 僕も三冠ヘビー級次期挑戦者決定戦があるので(7・21大阪、デイビーボーイ・スミスJrと。結果は勝利で松本での三冠挑戦が決定!)、なんなら第1試合でアジアタッグの防衛戦をやって、メインで三冠戦をやれたらワン・ツー・フィニッシュですよ。世界タッグも含めて、全部やりたいです。

一日に三冠、世界タッグ、アジアタッグと3つのタイトルマッチに出場すると。

亮生 やって負けちゃったらヤバいでしょ。

優馬 俺、去年の凱旋で一日3試合やっているから。

亮生 1勝2敗だったでしょ。絶対、やめた方がいい。

その時は、やってみたら負け越したという。

優馬 でも、松本で三冠戦は見せたいですよね。

三冠ヘビー級の長い歴史の中で、1度だけ松本で開催されております(1991年1月19日、ジャンボ鶴田がスタン・ハンセンから奪取し、第8代王者に)。実現すれば、34年半ぶりになります。

優馬 私も生まれていないです。これは観光大使として実現させなければならないですね。鶴田さんもハンセンさんも、地元としてはかすりもしていないじゃないですか。地元アンバサダーとして実現させるという責任重大な話になってきました。

世界ジュニアヘビー級のタイトルマッチは、もしかすると松本では初かもしれません。

亮生 それも実現させないと。

タイトルによって青柳優馬を味変。
亮生いわく兄は「頑固」

アンバサダー就任のさいはアジアタッグのベルトを持っていったんですよね。

優馬 はい。前日(6・15京都)に挑戦だったんですけど、就任式を松本市の市庁舎本庁でやるまでは絶対に言わないでくれって言われていて、これはハクをつけるためになんとしてでも二人でアジアを持っていかないといけないって話して。人には言えない中で闘ったという。

亮生 これはマジで獲らないと地元に帰れないヤバいやつ…でも言えない。

優馬 もしも負けていたら何事もなかったように帰ったでしょうけど。前日にタイトルへ挑戦して獲れなかったという話は一切出さずに。

兄弟としてのタイトル獲得は天龍プロジェクトのUNタッグ王座に次ぐ2つ目となります。

亮生 小さい頃から一緒にプロレスごっこをやっていた兄と獲れたというのはやっぱり嬉しいです。この“一緒”っていうのが大きい。過去に巻いた世界ジュニアヘビー級のベルトはシングルですから、そこは僕次第じゃないですか。でもタッグはいろいろなタイミングだったり、めぐり合わせだったりがあってやっと腰に巻けたという思いなので。

プロレスごっこは基本お二人によるシングルマッチですよね。

亮生 あるいは座布団と闘っていました。一方的に攻めまくっていました。それこそ、ムーンサルト・プレスをベッドの上で当時からやっていたし。

それがプロとしての形にちゃんとなっていると。

優馬 そうですね。マットレスからマットに変わりましたけど。

同じ兄弟でも斉藤ブラザーズは兄弟でプロレスごっこをやっていたというイメージが湧かないです。

優馬 インタビュー記事を見ると、仕事に関してはけっこうマルチにやっていたみたいで、してない経験がなさそう。人生、何周目だよって感じですよね。

亮生 あの大きさでプロレスごっこをやったら家が壊れます。学校ではプロレスの話をする友達は1人しかいなくて、その彼と授業と授業の合間の休憩時間5分10分を使ってプロレスごっこをやっていました。周りはプロレスを知らないんで「こいつら、何やってんだ?」という目で見られていました。

優馬 僕らの時代もプロレスを知らない人たちがほとんどだったので、巻き込んでいましたね。体育館の倉庫から分厚いエバーマットを出して、その上でジャーマン・スープレックスの練習をさせてもらっていました。

させてもらっていたということは、やられる側がいるということですよね。

優馬 ええ。プロレスが好きでもないのに投げられるという。ちょっといい? 顎だけ引いてねと。それをやると何人か集まってくるんです。だから、プロレスを見てはいないけどやればなんだかんだで集まるというのが4、5人いました。

それが弟の代になると1人に減ってしまった。

優馬 その頃はテレビのプロレス中継も深夜になっていたし、格闘技の方に人気がいっていましたから。それよりもアイドルがブームで、みんながAKBにいっていたからプロレス好きというだけで野蛮だって思われていました。

そういう中で自分が好きなものを維持できたんですね。

亮生 誰かと共有しようとは思わなかったですね。家に帰って録画した試合を見て、週刊プロレスを読んでというので楽しかったですから。父ちゃんが夕飯の時はだいたいプロレスを見ているんで、3人で盛り上がったり。

優馬 プロレスが普通に好きだったので、周りから野蛮だと見られていても「これが孤高というものなのか。俺は崇高な人間なんだ」ぐらいに思っていました。孤高と孤独をはき違えて生きていましたね。でもそういう心持ちによって、こうやって10年続けられているわけですから。それぐらいの精神じゃないとたぶんやれないと思います。今思えば、あの環境がむしろ僕を強くしてくれた。迫害されていた人間がアンバサダーにまでなったぞって。

タイトルの話に戻すと、優馬選手は2つのタッグ王座を同時に持ったわけですが、自分の中での差別化はあるんですか。

優馬 そこはそれぞれの価値があるものですからね。三冠も世界タッグもアジアもGAORA TV王座も全部そう。それぞれのポジショニングというか、価値を上げていかなければならないので、そのために自分を演じ分けているような気分です。それがプロレスラー本来の闘いという気はしているので、2つ持つことによって楽しさを味わえています。

亮生選手が言った通り、シングルとタッグだと明確に色分けできますが、同じタッグタイトルだと難しいということはないんですか。

優馬 だからこそ、それぞれで見られる青柳優馬を見てもらえたらいいと思っています。アジアタッグ王者の青柳優馬と、世界タッグ王者の青柳優馬、三冠ヘビー級チャンピオンとしての青柳優馬、全部別人格だよなって思ってもらえるぐらいにテイストを変えたい。青柳優馬も味変はしないといけない。醤油ラーメンの青柳優馬と味噌ラーメンの青柳優馬。タッグパートナーが宮原健斗の青柳優馬と、青柳亮生用の青柳優馬って全然違ってくるんで。むしろ難しさで言ったらタッグは人数が多い分、お客さんがどこに目を向けたらいいかわからなくなるケースがある。自分が視界から外れるタイミングってあると思うんですけど、やっぱり外れたくないんですよ。リング内で闘っていなくても場外にいても、悪目立ちでもいいんでとにかく青柳優馬の存在を認識してもらいたい。そのための使い分けですかね。

宮原選手もコーナーへ控えている時でさえ常に動いていますよね。

優馬 同じ路線でやったら2番手3番手になっちゃうんで、違うやり方で。控えにまわったから休めるじゃ、生きていけないですよ。そういう意識があるかどうかがファンの支持に直結すると思っています。

以前、佐藤光留選手から聞いたのですが「青柳家は兄弟全員が一筋縄ではいかない」と。それで幻想が高まりまして。

優馬 ああ、もしかすると姉が光留さんの売店にいってサインや写真をねだったのかもしれないですね。言われてみれば光留さんに「またおまえの家族を見たぞ」と言われたことがありました。

亮生 兄弟それぞれ頑固なところがあるというか、個性が立っていますね。自分を貫いているつもりはないんですけど、こうだ!ってなっちゃったら動かない。弟たちもわりと言うことを聞かないし。

家族全員が個を確立し、独り立ちしているような。

優馬 ……僕は柳のつもりなんですけど。

亮生 いや、あなたも頑固だよ。

優馬 そう? 風の赴くままにのつもりだったんだけど。

亮生 いやいや、揺れない揺れない。

優馬 血筋なんですかね。ただ、確固たる一本の線って大切だと思うんで。今の時代、逆にそういうのをぶらさないのも大切なんじゃないかっていうのは思いますし、光留さんとそういう話をけっこうしました。確かに会話をしていると親にも兄弟にも感じます。それは母親の方が強いですね。

亮生 青柳家のルールとして、高校卒業までは面倒を見るけどそのあとは好きにやれと。その点では自由にやらせてもらいましたけど、やらかしたらぶん殴られましたから、母親に。

お母さんが強いのが青柳家。

優馬 長男であっても親父と同じ仕事につけとか、松本を出るなとか一切言われなかったんです。人様に迷惑をかけることなく、最低限やるべきことをやればあとは好きにしろという感じだったんで。

そうしてきた結果、今につながっています。

亮生 僕らもそうですけど、全日本そのものの勢いが去年ぐらいからあるんで、それを落とさずに…守りに入っちゃうとダメなんで、さらに勢いをつけていければとは思っています。

優馬 宣伝と発信と、根強いファンを味方につける。オタクたちを味方につける。経済を回しているのはオタクですから。斉藤ブラザーズじゃないですけど、やっぱりいろんなところで目に留まる作業が本当に大切だと思いますね。

斉藤ブラザーズのように地元テレビ局のレギュラーが入ればいいですね。

優馬 ああ、この前、兄弟で街ブラロケを収録してきました。その次も同じ局からお仕事をいただいて。実際、アンバサダーになってからそういうのも増えましたし、応援したいですという企業さんも増えてきた。新聞やテレビを通じて目に留まるのは大切だし、そこから派生して最終的には全日本プロレスに還元できて、さらに全日本プロレスの方から松本へ還元したらと。なんというか…流動させたいんですよね、物事を。

このネット時代においても地方ではまず新聞とテレビですよね。

優馬 そうなんです。今回に関しても「テレビで見たよ!」という連絡が一番多かった。だから還元ですよね。松本市に対する還元と、全日本プロレスに対する還元。足を運んでくれる皆さんに最大限楽しんでもらうことを目標に、臨みます。

東京から松本に来るファンの皆さんに味わってほしい食べ物をあげてください。

優馬 とにかく蕎麦と山賊焼きですね。山賊焼きというのは、鶏のもも肉を丸ごとから揚げにしたものがあるんですよ。

亮生 僕、大好きです。

優馬 我々にとってのソウルフードです。松本市観光アンバサダーとして、自信を持ってオススメします。