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第41回 男色ディーノ独占インタビュー~わたしがマサを選んだわけ
皆様こんにちは。黒木メイサの写真集を買おうか本気でお悩み中の三田佐代子です。花ブラはやっぱり勇気が要るよなあ…。いや自分がやるって話じゃなくて、レジに持っていく時に、って話ですからね。当たり前でしょうが!
さて今週は前回のコラムで書いたDDT両国大会の男色ディーノvsマサ高梨戦決定、の後日談です。あの後いろいろ考えてみて、やっぱりどうしてディーノ選手が高梨選手を指名したのか、そんでもって何であんなに感極まっていたのか、これは御本人に聞かなきゃわからないと思い、直撃いたしました。そこではディーノ選手の高梨選手に対する意外な思いが、明らかになったのでした。男色ディーノの熱い想い、感じ取って下さい。
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ーまず、DDTが両国大会をやると決まった時、ディーノさんの中でご自身のカードについてはどんなアイデアがあったんですか?
男色:まず最初に言っておきたいのは、私はDDTがなかったら絶対にレスラーにはなれなかったってことよね。そもそもDDTがなかったら私はプロレスが出来ていないと思うのよ。だから私は今回の両国で、そんなDDTに恩返しをしようと思ったの。私は自分の身の程もよくわかってるし、まあ自分が変化球のレスラーだってこともわかってる。そんな中で最初にぱっと浮かんだのは、実はHGだった。
ー確かにそれは世間に届きやすいカードですよね。ゲイvsゲイっていうわかりやすさもあるし、そもそも関西学生プロレス界のレジェンド同士ですしね。
男色:ところが先方の団体がアルマゲドンとかそんな雰囲気でうかつに手も出せない状態になっちゃって、いったん考え方をリセットしたのね。そうした時に、これはもう試合の完成度を上げていくしかないなと。見にきてくれた人、これまでずっとDDTを応援しにきてくれた人が鼻が高くなるようなカード、俺たちが応援している団体はこんなに面白い団体なんだって自信を持って言ってもらえるような試合をしようって思った時に、やっぱりそれが出来るのは他団体から呼んだ選手じゃなくて、より目線が同じ人だなって思ったのよ。
私は6年前のららぽーとからDDTに上がるようになったんだけれど、その直後に高梨くんがデビューしているのね。で、いろいろ思い返してみると私の試合の時ってたいてい高梨くんがセコンドについてるわけよ。
ーいわれてみればそうですね。高梨選手がディーノ選手の入場時にお客さんを必死にガードしてる姿は見ものでした。
男色:まあ私も今よりよっぽど激しくあの頃は狩りをしてたし、お客さんも凄い勢いで逃げ惑っていたわよね。それをガードするのが高梨くんの役目で、たいてい最後には高梨くんにチューして失神して終わるっていう。しかもそれだけじゃなくて、大事な試合ってたいてい高梨くんがセコンドについてるわけ。グレンQとの試合とか。私のDDTの歴史を振り返ると、いつも傍らには高梨くんがいるのよ。だからこの両国は、セコンドとしてじゃなく、自分の向かい側に高梨くんがいるっていうのもいいんじゃないかなって。新木場やそこらで出来そうなカードを両国でやるっていうのも痛快じゃない?
ー高梨選手とはプライベートでも仲がいいんですか?
男色:いや全く。本当に、リング上だけの関係です。一緒に呑みにいって鬼畜になったりとか全然ないわよ。
ーじゃあプロレスの手ほどきを高梨選手にしたのがディーノさんなんですか?
男色:いや実をいうとそれもないのよね。高梨くんはコウモリ野郎だから私の前では「僕のプロレスの師匠はディーノさんとさくらさんです」なんて言うけど、私は何か具体的に教えたってことは一切ないのよ。むしろスキルなんかは私より全然上。ただ試合の見せ方とか、この試合の中で何が大事かってことは、たぶんそばにいて見て覚えてくれたんじゃないかな。
ーまあ高梨選手はDDTの中でもかなり苦労してきているわけじゃないですか。いろんなキャラクターやらされたり、西調布やらアイスリボンやらの小さな団体を廻ったり。そういう経験からあのスタイルっていうのは生まれたんですかね?
男色:というより、私は彼はいわゆる、天才の部類に入ると思うのよ。飯伏ほどではないけれど、まあ飯伏がちょっと異常に天才だったり華があり過ぎたりするだけで。高梨くんは持って生まれた奥ゆかしさで、欲があまりないから何となく便利屋さんみたいな使われ方してきちゃったんだろうけれどね。
ー私も正直、シングルプレーヤーとしての高梨選手をこれまでちゃんと評価したことがなかったんですが、こないだの新木場1dayトーナメントの高梨選手がどの試合も全部素晴らしかったんですよ。うわマサ高梨ってこんなに出来るんだっていう新鮮な驚きがありました。
男色:なるほどね、でも私から言わせれば「何を今更」って感じなのよ。マサ高梨はあのクラスの試合は余裕でできるよ、当たり前だよと。実力が評価に見合ってない。何で今までそこにみんな気付いてくれなかったんだろうって。実は前々から高梨くんが正当な評価を受けていないのが腹だたしくて、去年の自分プロデュースのビアガーデンのメインイベントで、マサ高梨vsヤス・ウラノっていうカードを組んだのね。
ー素晴らしい試合だったんですよね。
男色:もう凄い試合だった。期待通り。その試合後も何か感動して泣いちゃったりしたんだけれど。
ーあの新宿は高梨選手を呼び込む前にもう泣いてたじゃないですか。それはどこから溢れた涙だったんですか?
男色:あの日も当初は「ちょっくらお得意の泣き芸でも見せてやろうか」ぐらいの気持ちでいたんだけれど、異常な早さでテンションが上がっちゃって、高梨くんを前にしたら本当に走馬燈のようにこれまでの6年間のシーンがバーッとフラッシュバックしたのね。そうしたらあんなになっちゃって。
ーただそんな感動的なシーンの最後に、高梨選手が豹変したわけじゃないですか。あれはどうだったんですか?
男色:いやああれは…本当に! ほんっっっっとうに、嬉しかった。何だろうもう嬉しいとしか言いようがない。まあ自分で育ててないって言っておいて何だけど、よくぞここまで育ってくれた!って気持ちで嬉しくてね。
ーただ「ありがとうディーノさん」で握手して終わるのとは全然違うと。
男色:全然違うね。自分にとってはこの6年間を振り返って高梨くんを指名したつもりだったんだけれど、いつの間にか両国でシングルやるにふさわしい相手として育ってたんだなあっていう感慨がありましたよ。
ーじゃあもう両国のカードについてはディーノvs高梨でDDTのお客さんを満足させる自信があるんですね。
男色:出来ますね。断言できる。高梨くんがここまで見せてくれたんだから。逆にあの新宿のマイクで今は自分が前哨戦に負けてる状態だから、両国までに巻き返しますよ。それも含めて嬉しいわ。
ー他のカードに負けない、とかそういう気持ちはありますか?
男色:うーん、メインを喰うとか正直あまりわからないわね。一番DDTらしければそれでいいと思うのよ。どうせ自分たちの試合は誰にも真似できないだろうっていう自信があるから、他と競う気持ちが全くないの。これまでと同じスタンスで、与えられた場所で与えられた仕事を120%こなす。それでいいと思う。
ー最後に、ディーノさんのブログでもお馴染みのお母様の八重子さんですが、両国にはいらっしゃるんですか?
男色:どうだろう? 一応日にちと場所は連絡しているんだけど、来るんじゃないかな。ほら私としては、自分の活動報告の場だから。貴方の息子はこんなに大きな会場で、こんなにたくさんの人の前でプロレスラーとして立派に試合をしていますよ、っていうのがわかってもらえれば、辞めろとか結婚しろとか言わないんじゃないかと思うのよ。合コンやるから好きなタイプは?って聞かれてさすがに母親に山本太郎とかウェンツ瑛士って言いづらいじゃない。だからこういう場は大切なのよ!
Profile
- 生年月日:1969年8月5日生まれ
- 血液型:A型
- 出身地:神奈川県小田原市
慶応大学卒業後、1992(平成4)年テレビ静岡にアナウンサーとして入社。 報道・スポーツ・バラエティなどあらゆる分野で活躍し、テレビ静岡の看板アナウンサーとなる。 より一層の飛躍を目指し、1996(平成8)年3月、同局を退社しフリーとなり古舘プロジェクトに所属する。 その後はプロレス専門チャンネル初代キャスターに抜擢。 現在、年間100試合以上の取材観戦でレスラー顔負けのアグレッシブさを見せている。 その他レポーターやMC、執筆活動など幅広く活躍中。 サヨコアリーナPLUSは、業界でもファンが急増中。