三田佐代子の猫耳アワー

2014年11月22日(土)

第243回 終わらない、あきらめないプロレスキャノンボール

プロレスキャノンボールはまだ終わりません。今回のメンバーによる、入場無料の興行を東北で行うことになりました。日程と場所は決まり次第お伝え致します。なお、その宣伝部長に大家健が任命されました。興行当日まで東北に滞在して、今回の盛り上がりを更に大きくしていきます。 #pwcb2014 3:19 – 2014年10月23日 プロレスキャノンボール2014 @pwcb2014

それはひと月前のことでした。丸二日間、私たちをツイッターに貼り付けにしたプロレスキャノンボールのツアーが終わり、みんなが心地よい疲れと祭りの終わった寂しさに包まれていた深夜に突然、発表されたプロレスキャノンボール興行。ほどなくしてそれが「11月19日午後7時から、大船渡市民体育館でにて入場無料」という興行であることもわかり、私たちはまた新たな興奮に沸き立ちました。その時感じた思いに関しては、ひとつ前のエントリーに記しています。

日程的に行けることがわかり喜び勇んでルート検索をした私の目の前に、信じられないような検索結果が出ました。

東京から大船渡まで。電車でも、車でも7時間?

何かの間違いじゃないかと思いました。たぶんどこかまで新幹線で行って、在来線に乗り換えるかなんかすればいいんだろうな、まあ3時間もあれば行けるだろうなと考えていたのに。

地理的な不勉強さに加えて、「遠いんですね」とつぶやいたら「ただでさえ行きにくいのに線路がなくなってしまって更に行きにくいんです」と教えて頂き、衝撃を受けました。そうか、東日本大震災の津波で線路が流されてしまい、まだ復旧していない路線があるんだ。そんなことも知らずに私は物見遊山で東北まで行っていいのだろうか?震災以来一度も行ったことがない(2013年G1仙台以外には)東北に。

でも、行かなきゃ、と思いました。たとえどんなに遠くても、たとえどんなに自分が震災で傷ついた人たちや大地に対して不義理だったとしても、だからこそ行かなくちゃ、と。プロレスがあったから行けた。プロレスが背中を押してくれました。

前日の朝9時半過ぎに都内を出て、一路大船渡へ。東北道をひた走り、一関ICを降りて下道を走ると、気づけばトラックを多く見かけるようになっていました。そしてそのトラックにはそれぞれ、「三陸道復興支援道路」とか、「高台移転工事」といった復興の目的が書いてある。その数は海に向かうにつれてどんどん増えていきました。

陸前高田に着くとニュースの映像で見たような景色が広がっていた。津波で崩壊し、そのままになっている建物。「ここから過去の津波で浸水した地域です」という交通標識。そして「奇跡の一本松、こちら」という看板を見かけ、せっかくだから、と見ていくことにしました。
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圧倒されました。

奇跡の一本松についてはニュースで知っていた。陸前高田の景勝地であった高田松原を津波が襲い、全滅したかと思われた中でたった一本だけ残った松の木。根っこが枯死したために加工されて、モニュメントとして残された、というものでした。

現在、この「奇跡の一本松」の周辺では大規模な工事が行われていて、巨大なベルトコンベアーが動いています。最初はいったいこれが何なのか全くわからなかったのですが、この全長3キロにも及ぶベルトコンベアーは山を切り崩し土を運び出し、海沿いの土地を新たにかさ上げするためのものでした。
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この、新たな大地を作るためのベルトコンベアーと、津波で崩壊したユースホステルの建物に囲まれて、奇跡の一本松はすっくと立っていました。その姿は神々しくさえあって、涙があふれそうで見上げられなかった。何かを言おうとすると泣いてしまいそうだった。

ここで、そしてこの後に大船渡の市街地を見たり三陸鉄道に乗って海や山を見たりして私が強く強く感じたのは、「まだ何も終わっていないし、何もあきらめていない」ということでした。「まだ何も始まっちゃいないよ」という有名なセリフがありますがその逆で、もちろんよく言われるように、というか思った以上に復興は終わっていなくて、それは本当にこの地に立ってみないとわからないことだったけれど、それと同じくらいに強く、ああ、この地は何もあきらめていない!と感じることが出来た。津波で土地が流されたのならば、またもう一回土を盛ればいい。建物が倒れたならば、また立て直せばいい。線路がなくなったらば、またレールを引けばいい。もちろん津波対策は必要だけれど、この地をあきらめてしまうことを、全く考えていない。その力強さに私は圧倒されました。

実際に三陸に行ってみるまでは、全く私は逆のことを考えていました。恥ずかしいことだけれど書きますが、枯死した一本松にたくさんのお金(寄付されたものです)を使ってモニュメントとして残す必要はどれくらいあるのかな、と思っていたし、歴史上何度も津波が襲ってくる土地に住み続けることはもう難しいんじゃないだろうか、とも思っていた。でも、全然違うんです。全くそうじゃない。

あの、新しい大地を作りだそうとしている中に孤高の存在として立ち続ける奇跡の一本松を前にして「これ要らないよね」なんて絶対言えない。美しい故郷を捨ててどこかに移住した方がいいんじゃないですか、なんて絶対に言えない。だって故郷なんだもの。建物がなくなったとしても、津波で木々がさらわれてそこにはもう何もなかったとしても、そこがその人にとって故郷であることには変わらない。そしてそこをあきらめた方がいいですよ、などとどうして言えるでしょう。

こういったことは行ってみるまでは全くわからないことでした。こんなふうに自分が感じるだろうとは予想もしていなかった。でも、行ってみなければわからないことがたくさんある。そして、行ってみるともうその場所は自分にとって知らない場所ではなくなる。今回、行く前と、そして帰ってきてから、自分が訪れた地のことをたくさん調べました。たくさん地図を見た。航空写真を見た。地震で何があったのか。私が立ったあの場所には元々何があって、そして何が失われたのか。そしてどのようにこの場所がまた力強く立ち上がろうとしているのか。これから大船渡や陸前高田、そうした地名を聞いたら今回見た景色や出会った人たちのことを思い出すし、もうそこは自分にとって無関係な場所ではなくなりました。心底、あの景色をいとおしいと思えるようになりました。

翌朝に三陸鉄道に乗ってみたら、あの「あまちゃん」で見たような景色が広がっていました。「斎太郎節」に「前は海、後ろは山で」と歌われた通りに入り組んだ海岸線、迫ってくる山の稜線。急な坂道を「いつでも夢を」を歌いながら夏ばっぱやアキちゃんが歩いてくるのが見えるようだった。すぐそこに海女小屋があるんじゃないかと思った。
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電車ではこれまた夏ばっぱのようなおばちゃんが、サービスでお茶を配ってくれたり車内販売でわかめを売ってたりする。「斎太郎節」もいい声で歌ってくれる。そして尋ねると「震災ではこの辺まで津波が来て線路も流されたんだよ」なんて話もしてくれる。南リアス戦は特にトンネルが多く、出口が見えないほど長く曲がったものも多い。ああ、この中で電車が止まったら、ゴーストバスターズでも歌わないと怖くて先に進めないよな、とも思う。
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今回、もちろんプロレスキャノンボールの取材、という大義名分はあるけれど、こんな物見遊山な気分でいいんだろうか?という迷いもありました。でも出会った人たちも相談した方たちもみんな、「来てくれて本当にありがとう」と言って下さって嬉しかったのと同時に、何だか申し訳ない気持ちもありました。震災からこんなに時間が経ってしまってごめんなさい。何も出来なくて、ごめんなさい。

興行では売店のお手伝いをやらせて頂いたんだけれど、「どこからいらしたんですか?」という問いに、盛岡、青森、宮古、気仙沼、陸前高田、大槌、とたくさんの美しい東北の地名を聞きました。そのたびに、ニュースでその土地の名前を見聞きしたことを思い出した。来てくださってありがとう、と言うと、いえいえ、ミタさんこそ遠くから本当にありがとうございます、と言って下さった。

東京からもたくさんのファンが大船渡を目指して集まりましたが、興行開始時間が近づくに連れて、恐らく地元の人たちであろう、学校帰りや仕事帰りの人たちの姿が増えていきました。学生服姿の男の子たち、お父さんにしっかり手を握られてやってきたジャージ姿の女の子、作業着姿の男性たち。前夜の宿も、復興関連の仕事で泊まっている方たちが多かった。
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震災後も福島を拠点に活動しているゴージャス松野さんが、10月のキャノンボールツアーの時に木曽レフェリーにこう言ったそうです。「除染作業ももちろん大事だよ。でも時間がかかる。プロレスみたいに観てすぐ元気になるのも必要なんだよ。」

プロレスで流された土地は元に戻らないし、プロレスで倒れた木が立ち上がるわけじゃない。でも、「何も終わってないし、何もあきらめていない」のがいまの東北の姿ならば、これほどプロレスに即したものもないと思うのです。何度も書いてきたことですが、倒されても、打ちのめされても、自分であきらめなければプロレスは終わらない。

飯伏幸太、葛西純、鈴木みのると豪華なメンバーが集まったこの日のプロレスキャノンボール興行でしたが、ひときわ存在感が際立っていたのはやっぱりこのひと月、大船渡に留まって興行の宣伝活動に務めた大家健選手でした。強大な新崎人生選手に立ち向かい、打ちのめされ、それでも立ち上がって拳を握りしめる。試合には敗れたけれど、人生さんから「何の伝手もない大船渡で一ヶ月、大家が頑張ってこれだけの人が集まってくれたんだ。お疲れ様」とねぎらいの言葉を受ける。そして涙ながらに大家選手はこう叫びました。
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「大船渡は元気です!」

みんなを元気づけようとしてきたけれど、逆に僕らが元気をもらいました、という言葉をプロレスラーから聞くことはこれまでにもありました。でも今回の大家さんの言葉の持つ意味はまたひときわ違った。大家健選手は何度もプロレスからドロップアウトしては戻ってきた人です。人一倍悔しさも無力さも味わっているプロレスラーです。その彼だからこそ、一ヶ月大船渡に留まり、そこに住み、全く自分を知らない町の人に話しかけ、ポスターを貼らせてもらい、頑張ってね、と声をかけてもらい、ご飯を大盛りにしてもらい、車で走り回った甲斐があった。その彼の実感として出た言葉が、「大船渡は元気です!」だったから、胸に響きました。

DDTとみちのくプロレスを中心としたメンバーで行われた興行は、普段東京でも見られないような顔合わせが実現したりはしていたけれど、マスターは相変わらずだし、ディーノ選手も相変わらずだし、本当に私たちが普段見ている彼らのベストなパフォーマンスでした。興行の最後に至るまで、声高に復興を叫んだり、東北に元気を、日本をひとつに、なんてことは誰も言わなかった。そんなことは必要なかったんだと思います。だって、大家さんが言う通り、大船渡の人たちは元気だったし、きっとものすごく頑張っている。頑張っている人に頑張ってなんて言う必要ない。
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このプロレスキャノンボールが映画になった時に社会的なメッセージを含むものになるのかどうかはわからないけれど、少なくともこの日この体育館に集まってくれた人たちが目を輝かせて躍動するプロレスラーを見つめ、「楽しかったです!」と頬を上気させて帰っていってくれたことにプロレスの大きな力と役割を感じました。まだ不自由な生活を強いられている人もいただろう。震災で何かを失った人もいただろう。それが、この日一日のプロレスで奇跡的に大逆転するわけじゃないかもしれないけれど、松野さんが言ったように見てすぐ楽しくて元気になれるものも必要なんです。

そういえば大船渡に向かって車を走らせている時に福島あたりで通り雨に出会い、その後に空に大きな虹がかかりました。あんなに綺麗なアーチの虹を見たのは本当に久しぶりでした。そして帰りに東京ではあり得ないほどの満天の星の中をまた車を走らせていたら、願い事がきっちり出来るくらいに大きくて長い流れ星を見ました。あの虹も、流れ星も、今回訪れた、そして訪れることは出来なかったけれど思いを馳せた土地や皆さんにとっての吉兆であると信じています。

夕暮れに毅然と立つ一本松と、力強い復興の槌音。プロレスの可能性と、それを待ってくれていた人たち。翌日も大船渡に残っていろいろ見聞きしている人たちのツイートを見ながら、あああそこにも行きたかった、あれも食べたかったと思うことがたくさんありました。またすぐに来ますね、と出会った人たちに約束出来る距離じゃないのが悔しいし申し訳ないけれど、せめて私に出来ることはあの地を忘れないこと。まだ終わってないし、この先もあきらめない。どうか皆さん、ずっと元気でいて下さい。皆さんの故郷がずっと美しくあるように、祈り、応援し続けます。
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