2008.12.1.mon
第5回 変態さん、いらっしゃーい! 全国15万人の猫耳アワーファンのみなさまこんにちは。お相手はアラフォーという言葉が大嫌いな三田佐代子です。あたしは誤魔化さないね! 39歳だから!
さて何故唐突に15万人かと申しますと、このコラムの総アクセス数が2週間前に15万件を突破したという嬉しいお知らせが届いたからです。先週お礼を書こうと思っていたのですがヲタ話に夢中で忘れていました。本当にありがとうございます。まあぶっちゃけ15万のうち10万アクセス分は自分自身なんじゃあないかという気もしますが、読んで下さる皆さんがひとりでもいる限り、猫耳アワーは永遠に不滅だ!(サスケさん宇宙戦争遠くから楽しみにしています)

さて、変態団です。「アメリカのUSSA大学院でスポーツ科学修士課程を修了、 アメリカNSCAのCPT、CSCSの両資格を取得し、パーソナルトレーナーとしての顔も持つ」という、全く何のことなのかわからないけれどたぶん素晴らしい経歴をお持ちで英語もぺらぺらの中澤マイケル選手と、現在連載を4本も抱える売れっ子ライターでありなおかつパンクラスism所属の佐藤光留選手の、経歴無駄遣いユニットです。



そもそも練習生時代に「マイケル」という名前をつけられたのが運のつき、ブレイクのきっかけもヌルヌルブラザースという最初からヨゴレが約束されていたマイケルと、その嗜好をひた隠しにしてデビューした当時から師匠の鈴木みのる選手のお母様に「この子何かおかしいわね」と言われるほどアブノーマルさがにじみ出ていたヒカルん(マイケルは佐藤光留選手をこう呼ぶ)。
ひと昔前なら決して出会わなかったであろうDDTとパンクラスという真逆のプロレス団体でありながら、こうして一緒にタッグを組んでいけるなんていい時代になったものです。

変態団結成初日の11月5日の新木場大会では、お互いのカラダにロウソクを垂らしあって没収試合。ただその試合を見ていた現在欠場中の飯伏幸太選手は、
「いやあ凄く良かったです! 今年のベストバウトです!」
と真顔で言っていたそうです。いったい今年どんな試合を貴方は見てきたんですか、と飯伏選手を問いつめたい。

ああ見えて真面目なマイケルとヒカルん、試合後は反省会をやったそうですが、
「いやあ…どう…ですかね…?」
「良かった…ですよね。」
「そうですよね、凄く良かったです」
「ですよね! 僕も正直凄く興奮しました!」
というような反省会だったらしいです。
「本当に、あれだけドン引きされて冷たい視線で見られると、凄くハイテンションになるというか、これまでにないくらい興奮しました!」
と真顔でおっしゃってました。そういうものなんでしょうか。

さてSアリーナではジュリ扇を振り回し踊りながらご登場、いきなりスタジオ中を羽根だらけにした変態団。2人のなれそめを聞いても
「いやあ付き合う時間の長さは関係ないですよ」
「俺たち前世から繋がってますから」
と全くかみ合わないトークを展開。いつぞやにマイケル選手に登場して頂いた時のようにスタジオが寒くなりそうになりましたが、そこを救ったのはマイケルのかつてのパートナー、松ちゃんこと松永智充選手でした。
「巨匠はああ見えて変態でも何でもなく、ただの常識人ですから。国民年金もちゃんと払ってるし

なんと、国民年金をちゃんと払ってる変態!

その上、お友達(という名のもとにOPGでは飯伏選手の超絶新技を数多く被弾し、かなりヒドい目にも遭っている模様)の飯伏選手からは
「変態の歌を歌って下さい」
と無茶ぶりされ、
「俺〜は変態〜♪ ヘンターイ止まれ!」
という口から出まかせの歌を歌ってスタジオは水を打ったように静まりかえり、あやうく、というかほとんど放送事故になるところでした。まあその後マイケル選手は全裸になりかかってスタジオから連れ出され、完全に、なかったことになったのはご覧頂いた通りです。

さて30日の後楽園ホール。変態団は今度はバラ鞭(むち)を持ち出してまたも没収試合。コーナーで1人SMごっこをやっていたマイケル選手はかなり高得点でした。それからヒカルんの、
「パンクラスを悪く言うのは許そう。ただ俺のことを悪く言うのは許さない!」
のマイクは歴史に残ると思います。たぶん。

いろいろ書きましたが変態団はかなり応援しています。本当に。次回の後楽園でディーノ選手に負けたら解散なんでしょうか。何とか、ディーノ選手とか関係各位とかいろんな方面関係に怒られない程度に、続けていって頂きたいものです。


今週の1枚。ZERO1-MAXにやってきた怖いガイジン、チャールズ・エヴァンス選手が描く理想の女性、アメージング・コング。カニっぽい。


 

Profile

三田佐代子
三田佐代子 Sayoko mita
  • 生年月日:1969年8月5日生まれ
  • 血液型:A型
  • 出身地:神奈川県小田原市

慶応大学卒業後、1992(平成4)年テレビ静岡にアナウンサーとして入社。 報道・スポーツ・バラエティなどあらゆる分野で活躍し、テレビ静岡の看板アナウンサーとなる。 より一層の飛躍を目指し、1996(平成8)年3月、同局を退社しフリーとなり古舘プロジェクトに所属する。 その後はプロレス専門チャンネル初代キャスターに抜擢。 現在、年間100試合以上の取材観戦でレスラー顔負けのアグレッシブさを見せている。 その他レポーターやMC、執筆活動など幅広く活躍中。 サヨコアリーナPLUSは、業界でもファンが急増中。