2012.1.30.mon
第178回 私がもっとハングリーだった頃 2012年最初のDDT後楽園大会は、オープニングから通して「ROAD TO 武道館」を強く印象づける大会でした。

所属選手もそうでない選手も、日本人選手も外国人選手もみな、武道館への思い入れを語る。それはかつてファン時代にあの九段下の坂を登り大きな門をくぐって胸をときめかせて試合を見に行った聖地武道館であり、永ちゃんのコンサートがソールドアウトする武道館であり、ゲーム画面でしか見たことがないブドーカン。

そしてそれは同時に、武道館のメインイベンターを決める戦いが始まったことになります。高木三四郎vs鈴木みのる以外のカードは全てこれからで、メインに登場するのは恐らくKO-D無差別級のチャンピオンとその挑戦者。

この日KUDO選手の持つKO-D無差別に挑戦する男色ディーノ選手は、09年初の両国大会ではマサ高梨選手と、10年にはHG&RGと、そして去年11年にはボブ・サップと戦ってきました。いずれもDDTらしさをアピールしたり、ディーノ選手が避けては通れなかった対戦相手であり、メインに組まれるカードではなかった。

けれど今年は違う。誰よりも早く、武道館のメインに立つことを宣言し、年の初めにまず挑戦権を掴み、そして相思相愛だというKUDO選手からベルトを奪取しました。

ディーノ:知ってのとおり私はイロモノよ。そしてそのことに誇りを持っている。でも私だって武道館のメインに立つ夢を持ってもいいじゃない?

そして最初に「決着を付けなければいけない相手」として呼び込んだのは、アントーニオ本多選手でした。「マッスルの亡霊を振り払わなくてはいけない」相手として。

元はといえば武道館進出を夢見ていたのはマッスルだった。そして志半ばにしてマッスルが休止した翌年にDDTが武道館進出を決め、その日取りを発表した日に高木大社長はDDT TECのTシャツを着ていた(第169回 そしてまた夏休みがやってくる〜DDT武道館大会決定参照)。アントーニオ本多を世に広く知らしめ、ディーノ選手の高いフロント能力をも広く知られるようになった「マッスル」というリング。もちろんアントーニオ本多がプロレスラーとして認められたからこそ、マッスルがなくなった後も彼はリングに上がり続けているのです。DDTは自分の力で武道館進出をなし得たのです。それでも、当人同士の間、もしくはディーノ選手の中では決着を付けなければならないのがマッスルという場なのでしょう。

そしてリングに上がり、ディーノ選手と対峙したアントンは自分の心の叫びを吐露し始めました。それはまさに、血を吐くような叫びでした。

アントン:アンタが10年前、新幹線に乗って一橋大学の興行を見に来て、俺の試合を見たこと覚えてるだろ!それからほどなくしてアンタはDDTのリングに上がるようになって、週刊プロレスなんかを賑わすようになって、その時俺は家賃4万5千円のアパートで、将来への不安と失恋とコミュニケーション不全で泣いていたんだよ!

一橋大学出身の大日本プロレス石川晋也選手から、こんな話を聞いたことがあります。彼は大学で応援部に入っていたので学園祭の催し物の警備なんかをやっていたらしいのですが、その時に学生プロレスの興行を何となく見て、ただ一人ダントツに輝いていたのがアントーニオ本多選手だったと。明らかに他の人と違うオーラを身にまとい、ひとりだけ特別な存在だったと言っていました。そんなアントンも将来の不安と自己承認欲求にさいなまれ、日々声を押し殺して泣いていた。

またアントーニオ本多選手を発掘した時、マッスル坂井選手がものすごくテンション高く喜んでいたことを覚えています。「学生プロレスを見に行って、ものすごくマッスル向きの選手を見つけたんですよ!しかも彼は演劇もやっていて最高に面白い選手なんです!」とマッスル選手は大喜びしていた。初めて彼がVTRで登場した時の衝撃を今でも覚えています。ほどなくしてアントンはマッスルに欠かせない人物となりました。そしてそのマッスルを見たディック東郷選手が彼を気に入り、一緒に練習するようになり、現在に至ります。

アントン:ぶっちゃけ君のキッチンで寝泊まりしていたこともあるよ。それから引っ越しを手伝ってもらったりいろいろあって、でも元気にやってるよ!
でも俺はアンタに勝たなければいけない理由がある。俺が勝ったらこの中の3人くらいが喜ぶんだよ!旅先のディック東郷が喜ぶんだよ!そして俺が勝ったら、4万5千円のアパートで枕に顔を押しつけて泣いていた本多宗一郎が喜ぶんだよ!


そして彼はこう叫んだ。

アントン:俺はここでしか生きてない!ここでしか息をしていない!ここでしか本当のことを言ってないの!

知っての通りリングを降りれば、アントーニオ本多選手は物静かな青年です。たぶん、生き辛い人なんだろうという気はします。そんなアントンが、リングの中でしか叫べないアントンが、自分の心情を吐露しているのを妨害する権利なんか誰にあるだろう。彼が人前で自分自身のことをあれほど無防備に語ることなど滅多にないことだというのに。少なくとも私は胸を鷲掴みにされたような気分になり震えました。

バックステージで男色ディーノ選手は「ここ数年忘れていたけれど、私は私のやりたいようにやる。私がもっとハングリーだった頃の気持ちでまだまだスケールアップするわよ」と言っていた。

ディーノ選手もアントン選手も確かに、DDTやマッスルがなければプロのプロレスラーとしてリングに上がり続けることは難しかったかもしれない。でもそのチャンスを彼らは掴み、努力して現在の地位を勝ち取ったのです。誰もが今の彼らの実力やキャラクターを疑わない。でも、二人には二人なりの乗り越えなければいけない過去があり、精算しなければいけない思い出がある。2月のタイトルマッチは、二人にとってはずっと心のどこかに引っかかっていた何かを戦うことによって振り払う、そんな試合になるんだと思います。

================================

DDT後楽園大会終了後、この日1月29日をもって閉店する、山下書店東京ドーム店に行って来ました。午後4時からは高木三四郎選手が1日パート店員さんとなり、4年前に出した著書「僕たち文化系プロレスDDT」を販売し、DVDをプレゼントしてくれるという。


営業最終日の山下書店。水道橋から橋を渡って後楽園に来ると必ずこの前を通りました。よく待ち合わせなんかにも使ったな。


店頭には「僕たち文化系プロレスDDT」が平積みに!ただいまフェア開催中。


中に入ってみると忙しそうに働く高木店員の姿が。


エプロンに「高木」の名札がお似合いです。でもよくよく考えてみると本屋さんがエプロンしてるのって不思議ですよね。


お忙しい最中一緒に写真を撮って下さいました。病み上がりだというのにお疲れ様です。

高木:やっぱりここが無くなっちゃうのは寂しいですよね。もちろんプロレス関連の本もそうなんですけれど、変な話ここってちょっとエッチな写真集なんかも充実していたんですよ。しかも他の書店に比べて、ここで買うのは全然恥ずかしくないという(笑)。僕は高岡早紀の写真集をここで買いました。今回こういう形でコラボを実現させて下さって本当に感謝しています。


このドーム店で7年間店長をなさった、岡野店長です。岡野店長が見た山下書店の面白いエピソードは「Number WEB さらば、愛しの山下書店東京ドーム店」というコラム(リンク先はこちら)に満載されています。

岡野店長:プロレスラーの方もたくさんいらっしゃいましたね。デストロイヤー選手が来日している時にデストロイヤー本を店頭に並べていたらご本人が感激して来て下さって、いきなりサイン会を始めてしまってちょっと困った、ということもありました。

さすがデストロイヤー。サービス精神旺盛です!

岡野店長:あとびっくりしたのは、真冬の閉店後の夜中に棚卸しをしていたんですね。そうしたらタンクトップ一枚の中西学選手が突然やってきて、「祝儀袋を売ってくれ」と。ウチはそもそも文房具店じゃないですし、もう閉店しているし、真冬にタンクトップ一枚だしでいろいろとびっくりしましたんですが丁重にお断りしました(笑)。

…さすが野人!山下書店にもこんな伝説を残していたとは。ツッコミ所満載過ぎて最高です。

週モバ「さよなら山下書店」のコラムにも書きましたが、たくさんのプロレスラーやプロレスファンの喜びや悔しさがこのお店の前を通り過ぎていきました。なくなるとちょっと寂しいし、ちょっと不便。でもこのお店で買ったたくさんのプロレス本と共に、このお店を覚えておこうと思います。
2012.1.24.tue
第177回 「天龍源一郎」を生き続けること 「中邑真輔選手はいいよね。こないだの1.4ドームの試合を見て本当にプロレスが上手くなったなあと思いましたよ。いつの間にこんなに上手くなっていたんだろうとびっくりしたよね。丸藤選手との絡みも面白かったけれど、丸藤選手はもう上手すぎて何か嫌だね(笑)」

「中邑選手は手足が長いのが本当にいいですよ。何をやっても映える。技をかけても相手の技を喰らっても絵になる」

「石狩太一も全日本にいた頃にはスタイルもいいし顔もいいし、手足も長くて将来楽しみだなあと思っていたんだけれど、いつの間にあんなキャラクターになっててびっくりしたよ。川田に付いていったのが悪かったのかなあ(笑)?」

これは全て、21日土曜日のバトル☆メンのゲストコメンテーターとしていらした天龍源一郎選手が、最近のプロレスについて本番前の雑談の中でおっしゃっていたことです。去年プロレス生活35周年を迎え、家でもサムライをよくご覧になっているという天龍さん。プロレスを見つめるその目は常に熱く鋭く、愛情に満ちています。

ご存じの通り天龍源一郎選手は現在、腰の負傷のために欠場中です。実は全日本時代から痛めていた(近年戻ってきてからの全日本時代ではなく、天龍同盟、鶴龍時代の全日本)という古傷はもうパンク寸前で、昨年11月のご自身の35周年記念興行とその後の健介オフィス興行で、健介選手に2連敗したことから手術を決心したそうです。

お相撲時代を含めても身体にメスを入れたことは一切なく、長期欠場も一度もない。あれだけの激闘を長年やっていらしたにも関わらず欠場も手術も初めてという事実に驚愕しましたが、痛む身体をかばいながらも休むことが許されなかった。そういう時代を天龍源一郎というプロレスラーは生きてきたのです。しかも常に第一線で。

「今回、大将がこういう決断をしたことに関してどう言われるか心配もあったんですが、特に長年天龍源一郎のファンだった方達から『よく決断してくれた、ありがとう』っていう反応が返ってきて本当に嬉しかったです。大将自身も100%の天龍源一郎をリングで見せられないことに関してずっともどかしさがあったし、何よりファンの皆さんが一番わかってらっしゃると思うので」

そう語るのは天龍プロジェクト代表であり、天龍選手のお嬢さんでもある紋奈さん。お父さんのことを「大将」と呼べる関係って本当に凄い。天龍選手のコンディションを誰よりも近くで見ていた紋奈さんはその苦悩も当然誰よりも知っていたはずで、だからといって「休め」なんて言えるわけない。天龍プロジェクト代表としてだけでなく、たった1人の尊敬できるお父さんとしても、今回の決断を尊重されているのだと思います。

これから待ち受けるであろう手術と、復帰のためのリハビリテーション。みんなが思う、みんなが期待する天龍源一郎であるために、天龍さんはしばらくリングを離れます。この日、コメンテーターとしてスタジオで大小男子女子問わず様々なプロレス団体の映像を「やっぱりプロレスは面白いねえ」と言いながら笑顔でご覧になっていた天龍さん。「トムとジェリーはプロレスとして最高の名勝負数え歌だよ」等々、天龍さんとご一緒させて頂くたびに学ぶべきことは多い。「またパワーボムやるために戻ってきますよ」と力強く宣言した天龍源一郎選手を、しばしの間お待ちしていたいと思っています。

Profile

三田佐代子
三田佐代子 Sayoko mita
  • 生年月日:1969年8月5日生まれ
  • 血液型:A型
  • 出身地:神奈川県小田原市

慶応大学卒業後、1992(平成4)年テレビ静岡にアナウンサーとして入社。 報道・スポーツ・バラエティなどあらゆる分野で活躍し、テレビ静岡の看板アナウンサーとなる。 より一層の飛躍を目指し、1996(平成8)年3月、同局を退社しフリーとなり古舘プロジェクトに所属する。 その後はプロレス専門チャンネル初代キャスターに抜擢。 現在、年間100試合以上の取材観戦でレスラー顔負けのアグレッシブさを見せている。 その他レポーターやMC、執筆活動など幅広く活躍中。 サヨコアリーナPLUSは、業界でもファンが急増中。