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第46回 明日また生きる!ふたたび。
初めて船木誠勝選手を見たのは、今から13年前、ちょうどサムライでお仕事を始める直前でした。片っ端からプロレス関連(と目される)本を読んだりテレビを見たりしていた時、確かフジテレビのSRSでその映像は流れたのでした。
1996年9月7日、船木誠勝vsバス・ルッテン。ギリシャ彫刻を通り越してもはやマンガみたいな筋肉を持つ船木選手が、そこにはいました。褐色の肌に黄緑色のタイツがよく似合うその選手は、その時ありとあらゆるジャンルをむさぼるように見ていたどんなタイプのプロレスラーとも違う輝きを放っていました。
皆さんよくご存じの通り、ルッテンの掌打の嵐が船木選手に降り注ぐ壮絶な試合展開で、最終的に船木選手はロストポイントゼロでTKO負けを喫します。端正な顔は腫れ上がり、鼻血を流しながらでも試合後に船木選手は叫ぶのです。
「自分がどうなってもいいんだよ。一生懸命生きれば結果は絶対嘘つかない。これが俺の結果だよ。いま戦って思うことは、悔いはなかったってことです。だけど俺ね、やり残したこといっぱいあるんだよ。こんなところで辞めてられねえよ!
明日から、明日からまた生きるぞ!」
衝撃的でした。こんなになりながらも戦うのがプロレスラーなのか。それでもまだやり残したことがあるってどういうことなんだろう。この「明日また生きるぞ!」はその後も名台詞として語り継がれ、宇野薫選手のように船木選手に憧れて格闘家を志す若者たちを生み出したのです。
次に船木選手を見たのはその1年後、1997年12月の横浜文体大会でした。若きチャンピオンの近藤有己選手を完膚無きまでにやっつけて、コーナーに駆け上がって首をかっ斬るポーズ。自分のところの若手になんてこの人は恐ろしいことをするんだろう、とそのあまりの大人げないまでの勝利に畏怖を覚えたものです。
そして、2000年5月のコロシアム2000。着流しに刀を差してドームの花道に現れた船木選手にみな驚いたのですが、さらなる衝撃がその先には待っていました。
ヒクソンのスリーパーに目を開けたまま落ちていく船木選手。ビジョンに大写しになるその映像にわき上がる悲鳴。そして敗戦後に花道を下がっていく時、船木選手はふいに立ち止まってマイクを取り「15年間ありがとうございました」と引退を宣言するのです。最後の最後まで絵になる選手でしたが、私にとっては最後まで遠い選手のままでした。
時は移り2009年。予想だにしなかった選手が、予想だにしなかった形で全日本両国大会のリングに上がることになりました。その人こそ、船木誠勝選手です。新日本を辞めてからいわゆる純プロレスのリングに上がるのは21年ぶり。武藤・蝶野・橋本の闘魂三銃士と新日本プロレスでは同期だった船木選手が、武藤選手の25周年記念試合で全日本マットに上がるのです。だいたい武藤・船木vs蝶野・鈴木みのる、という同じ時期に新日本野毛道場で同じちゃんこを食べていたメンバーが、全日本のリングで試合を行うっていうのも不思議な話です。
白い膝丈のハーフパンツで全日本プロレスのリングに上がった船木選手。ロックアップ、ロープワーク、ヘッドロックといった動きをスムーズにどんどん出していきます。因縁の鈴木みのる選手と向き合った時には感情的にマウントパンチ、そしてストンピングの乱打。
そういったいわゆるプロレスらしい動きの1つ1つが、非常に新鮮でした。もちろん船木誠勝選手のそういう動きを見るのは初めてなので新鮮なのは当たり前なのですが、とてもフレッシュで初々しさすら感じました。場外でエプロンをめくってリング下をのぞいていた時には、いったい何を探しているのかとびっくりしたものです。
終盤にはイス攻撃まで見せた船木選手。新日本若手時代の海外遠征でやったことはあるそうですが日本のリングでは初披露、しかも両国のイスはいわゆるパイプ椅子ではない、折りたたみの出来ないタイプな上に両隣と連結されているので、ずいぶんと使いづらかったみたいで。
噂どおり打点の高いドロップキックから、最後には何とトペ・コンヒーロまで披露。シューズが引っかかったのかバランスを崩し、落下気味に場外に落ちたのを非常に悔やんでいました。
「(試合の)ビデオ見てみたいですね。全く無我夢中で。鈴木を目の前にすると我を忘れてしまうというか。久しぶりなので。でも全くの別人がいましたね。やっぱりプロレスラーっていう感覚ですね。
(今日やった技は)ドロップキック2回と、逆回し蹴り。あとは鈴木のこと蹴っ飛ばしてただけなので。感情が先に行っちゃって。あと蝶野さん本当にやりにくいですね。効いてるのか効いてないのかわかんないし。こんにゃくみたいでした。これはもう椅子で思いっきりやるしかないなと思って。
これからについては明日武藤さんに言う約束なので。今は帰りたいですね。とりあえず家帰りたいです。頭打ったのでそれがもったいないです。そのまま綺麗な形で終われなかったのが悔しいです」
あの、ルッテン戦の後のような熱情的な喋り方ではないけれど、トペを失敗してしまったことと蝶野さんがやりづらかったことをしきりと悔やむ、負けず嫌いである意味大人げない船木選手がそこにはいました。
そしてあの時「明日また生きるぞ!」と言ったように、これからのプロレス生活については
「明日。明日また答えます。自分の中では固まってます」
とおっしゃるのです。船木さんにはいつも、新しい明日がある。そしてそれは誰にとっても平等にやってくる、明日です。
大勢の記者に囲まれた船木さんを見守るように、少し離れたところに柴田勝頼選手がいました。新日本プロレスを辞めて格闘技の世界に飛び込んでからずっと、船木選手と行動を共にしている柴田選手。久しぶりだったので嬉しくて話しかけてみたところ。
ー船木選手の試合ご覧になりました?
柴田:見ました。ほんとに自分が小さい頃に見たっきりなので、もちろん生で船木さんのプロレスの試合見るのは初めてだったので感動して泣きそうになりました。
ー自分もまたやりたくなったりしませんでした?
柴田:それは秘密です(笑)。
秘めた思いは答えてはくれなかったけれど、いつか本当にまたプロレスがしたくなったら、柴田選手も戻ってくればいいなと思います。もちろんそれが若いうちにこしたことはないんだろうけれど、船木選手だってここに戻ってくるのに21年という月日を費やしたわけです。船木選手にとってそれは必要な時間だったんだと思うし、いつだって何かをやるのに遅すぎるということはない。
今日の船木誠勝選手は、私にとっては懐かしさではなく、初めましての存在でした。それほどまでにフレッシュで、わくわくするプロレスラーでした。今もってそういうレスラーに出会えることの嬉しさ。明日また答えます、とおっしゃっていましたが、それはきっと素敵な答えであると、私は信じています。 - 2009.8.24.mon
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第45回 DDTはいまから出発です。
いまサムライTVのDDT両国ニアライブをちょうど見終わったところです。現地では目頭が熱くなるところで気合いで止めていたのですが、家なので思う存分泣きました。もちろん悲しいからじゃなくて、なんだか凄く幸せな気分なのと、お祭りが終わってしまった一抹のさみしさと。
今日は最初から何かが起きそうな予感がぷんぷんしていたのですが、まず15時半過ぎに両国国技館に着き、ごった返すグッズ売り場をくぐり抜けてバックステージまでたどり着くと、週モバのお馴染み歌代記者が満面の笑みで近づいてきます。
「衝撃ニュース! まだ鶴見五郎さん茅ヶ崎にいるそうです!」
「え、何で?!」
「どうも日付間違えたらしいんですよ。25日だと思ってたとかで」
どうして間違えるんですかそこを! 25日って平日だし! ていうかあと1時間もしないでダークマッチ始まるんですけど。確実に間に合いません。
バタバタするバックステージ、選手控え室から高木三四郎選手が出てきてたまたま横切った小笠原先生を捕まえて、
「先生! 急で申し訳ないですけど試合出てくれませんか?
「え?! 今日は澤くんのセコンドに来ただけなんだけど…」
「大丈夫です。僕と組んで、相手はマミーと矢郷さんです」
「ああ、矢郷くんは僕はデビュー戦の相手も勤めてますからわかりました」
と、全く関係ない理由で了解してしまう小笠原先生(ちなみに週プロ選手名鑑によると矢郷さんのデビュー戦は『不明』となっております)。当然空手着も持っていないので、比較的家が近いらしい高梨選手がダッシュで家に帰り自分の柔道着を持ってきて小笠原先生にレンタルしていました。「俺、何でこんなビッグマッチの前に汗だくになって柔道着なんか取りに行ってるのかさっぱり訳わかりませんよ」と高梨選手は疲労困憊。
さらに通路の向こう側からこれまた既に疲れ顔の中澤マイケル選手がやってきて、「聞いてくださいよ。リハーサルの爆破で既にタイツが破れました」とお尻を見せてくれました。「オープニングのリハーサルで特効さんが仕込んでくれたんですけど、その衝撃たるやWWEのPPV並みの迫力で」と熱弁をふるうマイケル選手のそばを、松永選手や佐藤光留選手が「巨匠また自慢してんですか」とニヤニヤ通り過ぎていきます。
そんなトラブルもありつつダークマッチは滞りなく行われ、号砲のごとくマイケルの肛門も景気よく爆破され、DDT初の両国大会は始まったのでした。
試合の模様は数々の神サイトをご覧いただくとして、わたくしが両国で採取してきたいい話をいくつか。
休憩時間にグッズ売り場をのぞきにいくと、聞き覚えのあるいい声の売り子さんが。近づいてみると鶴見亜門さんでした。
「いやあ前回のマッスルで下手うっちゃったので売店に格下げですよ」
と苦笑いする亜門さんですが、実は意外なところに亜門さんの手仕事が。
「あの色の違うDDTあるじゃないですか。」
「あのゲートの上の? Tだけ色が違うヤツですか?」
「そうそう。あれは坂井がああしろっていうからああしたんですけど、あれは僕とDJニラさんが2人で電球一個一個刺して作ったんですよ」
「え?! あれは手作りなんですか?」
「そうですよ。しかも僕ら所属でもないのにいったい何やってるんだろうって。指にマメできちゃいました」
「大道具さんに頼めばいいじゃないですか!」
「そうなんですけど。何でだか僕らがやることになっちゃったんですよ」
「…。今日は豆電球刺しと売店だけですか?」
「いや、表には出ないですけど最後にちょっと仕事します」
いやあ凄い。亜門さんとニラさんが向かい合って電球を一個ずつ刺している様を見てみたかったです。
高木vsサスケの公認凶器で入ってきたバンビ女王様が、実はこういう形でのDDT凱旋だと気づいた時の感動だとか、今やユニオン代表として辣腕をふるっているスーザンさんがポイズン澤田選手のセコンドに昔のままの姿で立っていたりとか、現在のDDTを見せつつもさりげなく懐かしい顔に出会えるうれしさもあり、ちょっとずつ感動が胸にたまっていきました。KO-Dタッグの煽りVがカウボーイ・ビバップだったのも超格好良かった。
そしてメインイベント。DDTの未来を見せる、HARASHIMAvs飯伏。普段クールな飯伏選手が珍しく感極まった表情で入場してきたのがずっと心に残っていて、試合後聞いてみたところ。
「緊張とかは特になかったんです。ただ正直DDTに僕が入った理由は、すごいユルい感じのプロレス団体だったんですよ。それでここならプロレスごっこができると思って入ったんですけど、それが本当に両国とか、こんなにたくさんの人前でできるようになったんだなと思って凄い感動したというか。それでちょっと。はい。」
あの飯伏選手にも、このDDTの中で5年という歴史があるわけです。デビュー当時は今よりもっとお客さんは少なかったろうし、飯伏選手自身最初からここまで注目されていたわけではない。他団体でビッグマッチはかなり経験している飯伏選手ですが、所属団体のメインイベントで、両国のゲートをくぐった瞬間に超満員のお客さんを見て、ぐっとこないわけはなかったんだろうと思います。
試合はチャンピオンのHARASHIMA選手が本当に王者らしかった。堂々としていたし、強かった。HARASHIMAが相手だったからこそ、飯伏選手も持てるものを存分に出し切れたんだと思うのです。そしてそんな飯伏選手の前に立ちはだかったHARASHIMA選手は間違いなく、強くて立派なチャンピオンでした。
フェニックス返されて、ものすごい掌打のラッシュを打ち込んで、最後の最後に出した驚愕の技。パワーボムを持ち上げて首をフックしてそのままジャーマンみたいな、説明しても何のことやらさっぱりわからないと思いますがそんなフィニッシュホールドについて。
「最後の決め技、あれは新しくはないです。あれは、14年前のプロレスごっこの時の技なので。14年前は、友達にかけました(にっこり)。あの当時より、相手を弱らせることができたので綺麗にかかりました。初めて、綺麗に決まりました。いやあ、楽しかったです。」
何と! 新技ではないそうです(飯伏選手の中では)。14年前におそらくはふるさとの鹿児島県姶良郡の錦江湾で友達にかけたのが、今日の凄技の原型ということになるんだと思うのです。それが14年の時を経て両国大会メインイベントでベルトを奪取する技に昇華するとは、当時のお友達も本望だと思います(絶対マネしてはいけませんが)。
最後、ベルトを巻いてマイクを握り、自分自身の言葉できっちりと満場のお客さんに心からの感謝をし、高らかに宣言した飯伏選手。
「DDTは、いまから出発です。」
ついていこうじゃないですか、これからもずっと。高らかに宣言したと思えばバックステージにはなぜか親友のケニー・オメガ選手と真っ黒焦げの中澤マイケル選手も伴って現れたり、そういった心細げな感じも全て含めて飯伏幸太についていこうと、そしてDDTにこれからも夢見させてもらおうと心底思いました。
あの生で録ったエンディングの多幸感がまた素晴らしいフィナーレでした。今日リング上に登場したレスラーが順繰りに登場し、最後に集まった人数の多さときたら! もちろん画面に写っていないもっと多くのスタッフ、彼らの誰一人欠けても今日の両国は成り立たなかったと思います。実はよくよく聞いてみるとわかるのですが、画面に映らないところであのエンディングのキューを出しているのは、鶴見亜門さんです。彼らひとりひとりがチケットを売り、撮影をし、夜中にぶっ倒れながら編集をし、パンフレットの原稿を書き、餃子を買いに行き、電球を刺し、本当にみんなで作り上げた両国大会でした。そして、そんなチケットを1枚ずつ買ったお客さん、サムライでニアライブを固唾を飲んで見守った視聴者のみなさん、みんなが参加した大きな大きな、素敵なお祭りでした。
「プロレスやめないで、良かったと思います。僕ら始めた頃はプロレス界で一番いらない存在だったと思うんです。でも居場所がないなら作ればいい。それでファンの皆さんが支えてくれたから、両国大会まで来られたんです」
おんなじ言葉を、高木さんに捧げたいと思います。
プロレス番組やめないで、良かったと思います。プロレス番組なんてたぶんそんなに世の中に必要とされていないって思っていたし、さらにインディー専門の番組なんて一番いらないって思われていました。でも、DDTはじめ本当に面白いことをしよう、ほかに誰もやっていないことをやってみよう、そんな日々常に進化し続けているプロレス団体がインディーにはたくさんあったし、そんな彼らをずっと応援し続けていることがこんなに誇らしく嬉しいことだなんてはじめた頃は私にだってわからなかった。でも、他に居場所もなかったから踏ん張ってもきたし、何より楽しかったです。団体の皆さんと、視聴者の皆さんが支えてくださったから、今日まで来られたんだと思います。
だからこれからも、夢見させてください。どこまでも飛んでいこうじゃないですか。まあ私自身、たいがい相当にオトナ気ないピーターパンだと思いますので。
おわり。おわり。
Profile
- 生年月日:1969年8月5日生まれ
- 血液型:A型
- 出身地:神奈川県小田原市
慶応大学卒業後、1992(平成4)年テレビ静岡にアナウンサーとして入社。 報道・スポーツ・バラエティなどあらゆる分野で活躍し、テレビ静岡の看板アナウンサーとなる。 より一層の飛躍を目指し、1996(平成8)年3月、同局を退社しフリーとなり古舘プロジェクトに所属する。 その後はプロレス専門チャンネル初代キャスターに抜擢。 現在、年間100試合以上の取材観戦でレスラー顔負けのアグレッシブさを見せている。 その他レポーターやMC、執筆活動など幅広く活躍中。 サヨコアリーナPLUSは、業界でもファンが急増中。